新年の抱負

10年以上前のムービーファイルを整理していたら,昔の会社の大先輩の生前葬のビデオが出てきました.

このイベントでは会社のオーケストラの人たちと生演奏のBGMを担当していたこともあり,自分も映像に映っていました.自分だけひときわひどい音で演奏していて,よくもまあ周りの人に大迷惑をかけつつ,こんな下手な演奏を普通の顔をして披露していたものだと今更ながら大変恥ずかしい思いをしたのでBGM部分はとりあえず飛ばしていると,弔辞の映像に切り替わりました.

僕は精神的な成長が周りの人よりも一回りぐらい遅い自負があり,10年前に同じ状況にあれば,きっともっとうまくやったのになぁと思うことがあります.今ならすごい価値がある経験だとわかるのに,昔の自分は完全にないがしろにしていた,まったく興味がなかった,ということがよくあります.だから,今回もきっと昔の話をもう一度聞き直したら思うところが出てくるに違いないと感じ,とりあえず話を聞きなおしてみることにしました.

そして感じたことは,当時の自分は無意識的に行動していただけなんだと思いますが,やっぱり,とにかく「反主流」が好きで,「常識」にとらわれた人たちに,時代を切り開くような驚きを与えるのが好きで,僕はこの会社に入ったんだろうなぁということでした.

潤沢な資金があり,資金力にものを言わせて後出しじゃんけんで挽回できる,大規模な組織があり,会社の歯車としてそつなく業務をこなせる「優秀な」人材にも恵まれていて,そのまま事業を進めれば順風満帆...そんなところにはあえて踏み込まない.むしろ,そういうターゲットを見つけると,そんな人たちを驚かせるようなことを,これまでに無いアプローチ,アイディアで実現してみたい.というのが,自分の行動の根本的なエネルギー源になっているように感じるのです.

はじめにやる,苦しくても最後までやりきる.少なくとも10年はやってみる.ふと周りを見回したら,いつの間にか世界がついてきている.僕は,そういう姿に憧れるのです.

基本的に技術というのは,その価値を誰も気づいていない時に,モヤモヤとしたパズルを組み立てるようなことを,自分だけがやっているという状態がハラハラドキドキして面白いし,熱中できるのであって,メディアがその価値に気づいてすごいすごいと騒ぎだしたり,まかり間違って自分自身が賞賛されるような事態になれば,それはもう,自分としては枯れた技術だと思います.

もちろん,技術としての収穫期はその先にあって,本当に儲けられるのはさらに完成度を高めて行った先にあるということはわかっています.でも,やっぱり興味が続かないかなと思います.技術をやっているのは,別に金持ちになりたいという野心があるからではないので.

ビジネスのことはやっぱり他の誰かに任せたい感じです.シリコンバレーには沢山いるんじゃないでしょうか.技術に対するある程度の理解があって,可能性のある技術への嗅覚が鋭くて,自分自身は技術そのものを生み出しているわけではないけれど,うまくプレゼンして資金を集めて商品を売り込み,ライフスタイルを変えるような提案をすることが得意な人たちが.

どの会社にも,自社の技術を下に見て,外部の評価に弱い技術オジンはいるものだと思います.内心すごいと気づいていても(むしろ,気づいているから?),チクリと嫌味を言ったり,出来ていないところを見つけては自分の昔語りを始め,自己満足することが好きな人はいるものです.だからこそ,日本の多くの会社はコンサルがまとめたエグゼクティブサマリー,いわゆる世界の潮流というやつに流されてばかりいて,判断が遅れるのだと思います.

世界の先端を行っている技術,すなわち,はじめは誰にもその価値が理解されない技術というのは,素直で子供のような好奇心にあふれた人間や,内に秘めた信念が相当に強い反骨精神に満ちた「個性的な」人材が「趣味的に」生み出すものだと思います.そして,本人はその価値があまりわかっていなくて,自己満足して終わり,放っておけばそのまま技術が埋もれてしまうようなことにもなりかねないケースが多いように思います.

だからこそ,こういった技術者には技術的嗅覚に優れた経営者というパトロンが必要であり,野心のない技術者を育むパラダイスのような安住の地が必要なのだと思います.決して,欲のない技術者の,興味に基づく内なるエネルギーをつぶすようなことをしてはいけないのです.金と技術の嗅覚に優れた経営者と気の良いギークがコンビを組んだらこんな無敵なことはないでしょう.シリコンバレーとは,このような出会いの場を提供する環境なのかもしれません.

さて,ダラダラとした文章が続きました.

まとめると,新年早々昔のスピーチを見返して,自分のこれまでの行動というのは,「反主流たれ」,「人のやらないことをやるべし」という心理に自然と支配されていたということに,改めて気づいたということです.会社人生の方向性を定めるような最も多感で重要な時代に,それだけ素晴らしい上司の薫陶を受けて,自分は育て上げられたのだということです.本当にありがとうございました.

今更気づくなよ,という感じがしますが,やっぱり僕は10年遅れの人間です...

真面目で勤勉で大人になりすぎた優等生の日本にあって,いつまでもやんちゃで,なぜか自然と飛び出してしまうような自分でいたいと思った元旦でした.

スティーブジョブズも言っていますよね.

Stay hungry, stay foolish

これが新年の抱負です.

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エキサイティングな人生

2012年に学生に戻ってから今に至る4年の自分史を振り返ってみると,本当に変化の多い数年だったと思います.

査読がちゃんと通るか不安に思いながらも,がむしゃらに研究生活を過ごした博士課程の日々は,今振り返れば夢のような年月でした.自己責任で飛び出した道だったので,これで人生設計が狂わないかどうかとか,年齢的にあまり失敗はできないとか,若干現実が見えて,緊張感には満ちていたけれど,自分で色々と決められる自由気ままな人生を過ごすことができて,本当に楽しかったです.研究テーマにも恵まれて,時代も味方してくれた感があります.お金には代えられない経験でした.まさに,プライスレス.

そして,今の会社に入って,はや1年が経過しました.よく考えれば,まだたった1年しか経過していないとも言えるわけですが,この1年もまた,本当にがむしゃらに過ごし,密度の濃い1年でした.1年のうちに一体どれだけの事を任され,こなしてきたかを考えると,新しい環境,ルール,システムへの適応能力が試され,色々と混乱と苦労の多い年月でした.しかし,とても充実感がありました.中途であろうがプロパーであろうが関係なく,容赦なく即戦力として巻き込んで活動する会社の文化は,なかなかいいものだと思っています.

様々なバックグラウンドを持った人々の多様性を受け入れるという精神は,ある意味,社是のひとつのようになっていて,これがグローバルに会社を運営していく原動力になっているのかなと思います.オフィスの中で様々な国籍の人と仕事をするのが普通になっているし,世界中の拠点を結んで会議をするのも日常茶飯事だし,管理職から一般職まで日々世界中を飛び回っているということ,そしてそれによって会社が成り立っているというのは,特に日本にいると,とても印象的なことです.

多様な文化的背景を理解し,ひとつの目標を共有しながら,ダイバーシティを超えて活動するスタイルというのは,昔から自分の得意分野だし,好みの活動スタイルなので,きっとこの会社の文化なら自分に合うかなと思っていたのが,まさにぴったりはまった感じがします.

自分にも,安定を好み,変化を恐れるという精神構造が無いわけでもないのですが,それよりも,変化が少ないことに対する不満の方が勝るケースの方が多いように感じます.ある意味,飽きっぽいのかもしれません.あと,あまりにも変化が少ないと,自分の適応能力が弱まり,精神的な老化が進むような気がして好きではないのかもしれません.だから,変化の多かったこれまでの数年間というのは自分にとって充実感があるのかもしれません.

年齢を重ねると,経験値が蓄積されてくるので,旅行にしても何にしても,驚きや感動をするきっかけが得がたくなってくるように思います.だから,変化を好む自分としては,ますますエキサイティングな人生を求めて,これからも自分にとって大きなチャレンジを受け入れ続けていくのかもしれません.

この自分のポリシーが,一体何歳まで通用するのか分かりませんが,当分はおさまることはなさそうです...

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Beautiful Boy

今日自分の子供が誕生しました.

自分の分身のようでありながら,自分とは独立した人間であり,生命の誕生とは神秘的なものだと思います.

タイムトリップして赤ん坊に戻った自分を客観的に観察しているかのような錯覚を覚え,これから人生の嬉しいこと,楽しいこと,大変なこと,様々な出来事を経験し,長い人生を歩んでいくのだと思うと,応援したくなる気持ちで一杯です.

自分のことだったら自分で何とかすればいいことだけれど,子供は自分とは独立した人間であって,自我を持ち,自分の価値観で生きていくわけです.

だから,自分が彼になりかわって物事を考え,判断して生きていくことはできないわけで,自分ができることは,あくまで彼がこれからより良い人生を送るための,楽しい遊びや教育や快適な生活など,親として様々な間接的サポートをするということです.

自分がこれまでの人生で経験してきた様々な試行錯誤を,きっと彼も同じように経験していくんだろうと思うと,僕も応援するから,一緒に頑張ろう!と声をかけたくなります.

まあ,親が心配するまでもなく,子供は意外とあっけらかんと力強く生きていくものなのかもしれませんが...

子供のきれいな目を見ていたら,彼の人生が,どうか彼にとって幸せなものでありますようにと祈らずにはいられませんでした.

ジョン・レノンが Beautiful Boy を作詞した気持ちがちょっと分かった気がしました.

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博士課程審査終了

本当に久々の更新になります.お久しぶりですがご報告です.

これまで約3年間をかけて取り組んできた博士課程の研究がまとまり,大学で学位の審査が合格となりました.自分は課程内博士という一般的な学生の身分で課程を進めてきたので,学位授与式というのが9月に行われて正式な修了となるのですが,この審査をもって学生としてやるべき事はほぼ終わったということになります.

始めた頃は2012年の9月で34歳,3年経てば当然37歳.3年という月日は振り返れば長いですが,いつの間にか過ぎていき,とても楽しい月日でした.時にはこんな歳になって仕事もせず,完璧なる学生なんかしていて人間としてどうなんだろうかとか,学生の身分に比べて会社員の身分保障システムというのは素晴らしいものだったんだなぁとか,隣の芝が大いに青く見えることも沢山ありました.でも,あえて人とちょっと変わった道を歩むことで,色々と面白い経験ができたと思います.心おきなくやりたいことをやったので,これからは自分のためばかりでなく,誰かのために自分の時間を使おうと思えるようにもなってきました.

34と37ではだいぶ年齢に対する印象が変わります.最近は40代が目の前に見えてきたなぁと感じることが多くなってきました.やはり,大学に行く年齢としてはギリギリだったかなと思います.結婚して子供もできてという,さらなる人生の展開を考えたとき,これ以上遅くなっていたら結構しんどかったと思います.一方,仕事に関して言えば35歳の転職限界説なんてものも聞きましたけど,どうなんでしょうか.個人的には,自分の持っている技術がちゃんと世の中のニーズを満たしていれば,最近は仕事探しをするということに関しては年齢が制約になるというのはあまりないのかなという印象を受けます.仕事云々より,体力的なこととか,生物としての色々なタイムリミットを意識するようになることの方が大きいかなと思います.

この3年間を通じて学んだことが何かと言えば,それは研究者として生活するための作法かと思います.論文の探し方,読み方,書き方,研究テーマの決め方,実験の進め方,まとめ方,といった研究者としての日々のルーチンワーク的な立ち振る舞いを身につけることができました.今までは我流でやっていたことが,なんとなく標準的な姿になったように思います.また,論文がリジェクトされるという経験を通じてアカデミアの厳しさや,あまり美しくない世界も垣間見ることができました.論文がリジェクトされるというのは本当に心臓に悪いです.相当な時間をかけて準備をし,査読も待っていたものが一瞬にして暗転するのですから,特にタイムリミットを意識して研究しているような自分にはたまったものではありませんでした.

かつて,仕事を辞めて学生になると宣言したとき,社会人ドクターという選択肢を取らないのかということをよくアドバイスされました.しかし,個人的にはやはり課程内ドクターで良かったと思っています.もちろん,条件として単身者であって家庭的な責任がないとか,年齢的にも時間に余裕があるということがなければ,必然的に社会人ドクターしか選択肢がなくなってしまうのかもしれません.しかし,研究の充実度や一貫性,研究遂行の効率性を考えたら課程内ドクターの方が大いに有利だろうと思います.

博士課程を経て,今は昔とは違う会社に勤務しているわけですが,個人的な印象として,日本はもっと社会人の流動性を持たせてもいいのかなと感じています.社会人から博士課程に行ったり,転職組を自然に受け入れる文化を会社に持たせるということです.会社を変えると,前の会社,今の会社,それぞれのいい点や悪い点がよく見えてきます.広い視点で自分の今いる環境を客観的に眺めるというのは,なかなか面白い経験だと思います.自分の立場がにっちもさっちもいかなくなってから転職を模索するというよりは,もっと新しい環境を見てみたいとか,もっと別の仕事を経験してみたいとか,前向きな気持ちで人々が積極的に自分の可能性を探索できる社会であってもいいのかなと思います.

さて,残り2ヶ月となってしまった学生生活,大いに名残惜しいです.若く純真な学生たちと日々共に研究し,コミュニケーションするのは本当に楽しくて仕方なかったです.しかし,いつまでもモラトリアムを続けるわけにもいかないわけです.一緒に研究を始めた学生たちも当然研究室を経て卒業し,社会人となっていくわけで,まあ,これは定めなわけです.いつまでも卒業できずに研究室に住み着いて長老扱いされるようになるよりは,スッキリと風のように吹き抜ける存在の方が爽やかでいいかなと...

というわけで,自分はもう十分に満喫しました.これからは,次世代が自分と同じような気持ちを経験できるようにするために,大いに貢献していこうと思います.

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新たな航海に向けて

人生は囲碁の対局のようなものだと思うときがあります.

日々の歩みは,言わば小さなたったひとつの碁石です.それひとつでは何も表現していないし,価値はとても小さいものです.しかし,それまでに築き上げられた構造の上に打ち込まれたときの価値は,ひとつの石からは想像できない重みを持っています.石を継いで,自分の築き上げてきた価値を盤石なものにすることもできるし,時には相手を追い落とすようなこともできる.だから,大局的なイメージを持ちながら日々を過ごし,石を継ぎながら何らかの自分なりの構造を環境に築き上げていくという意味で,囲碁のセンスというのはとても人生の歩みと相性がいいと思います.

人生の場合は,囲碁の対局とは違って特別誰かと面と向かって戦っているわけではありません.戦っている相手は自分を取り巻く環境全てです.常に変化し,動き続ける環境の中で,いかに自分の起点を見つけ,領分を広げられるかがその戦いの価値を決します.布石で勢力地候補を広げ,中盤で取捨選択をし,寄せの段階で自分のそれまでの取り組みの環境中における位置づけを確定し,また次の対局に備える...人生の節目ごとに,こういう取り組みを繰り返しながら人間は成長していくのだと思います.

布石の段階で,あまり野心的に攻め込みすぎると,自分のカバー能力を超えて勢力地をまともに確保できずに終わってしまうし,あまり慎重に布石を打ちすぎても,小さくまとまるだけで能力を最大限発揮できないままに終わってしまう.自分の持ちうる能力と環境の厳しさ,その力のバランスを上手く見定めながら環境との間で綱引きをし,切り込めるレベルを判定していく.これが,人生を歩むということだと思います.

だから,常に周囲の環境や世の中の動きを,冷静な目で慎重に見定めることが必要なのです.それまで築き上げてきた自分という人間のポートフォリオをどう再配分し,運用していくか.限られた人生という時間の中で,時には冷静に,時には清水の舞台から飛び降りるような気持ちで投資判断を繰り返すことで,時に傷つき,時に心躍らせながら歩んでいくのです.

中盤から寄せの段階というのは,とても気持ちが良く,好きな段階です.最初は全く意味の分からなかったジグソーパズルのピースが,次々と空白地に埋まっていくように,物凄いスピードで状態が収斂していきます.現像液の中で印画紙が被写体を浮かび上がらせていくように,それまでの取り組みの価値が次第にはっきりとその輪郭を現してくるのです.

今の自分は,次なる人生への転換のために,これまでの取り組みの集大成を行っている状態,言わば寄せの終盤だと思います.幸いにして,今回の対局は環境と運に恵まれ,良い結果を残すことができました.何より,今回の結果を糧とすることで,布石をいくつか打った状態で次の対局を始められることが嬉しいです.

数年前にぼんやりと頭に描いていた,ほぼ計画通りに事は進みました.ポイントは,許容範囲が広くわかりやすいターゲットを定めること,身の丈を知ること,素直でいること,真摯でいること,そして時に焦ることだと思います.

計画を持たずに人生を歩むことほど勿体なく,恐ろしいことはないと思います.将来どうありたいという大まかなイメージぐらいは誰でも持っていると思います.それでいいのだと思います.何年でも何十年でも,ずっと思い続ければ,そのうち自然と実現するものです.そういうことが最近,次第に分かるようになってきました.

人生における経験で無駄になることなんて何もありません.上手くいったことも,上手くいかなかったことも,全てが次につながっていきます.毎日が本当に貴重な経験です.もう少し欲張って,人生における経験の希少価値を高めるなら,今までとは違うことにどんどん取り組むべきだと思います.様子が見えたり,見通しが立ったりしてきたら,もうその世界は十分経験したということだと思います.学んだことを伝承するためにその場所にとどまり続けてもいいし,まだ学びたいと思えば飛び出せばいい.もちろん,その辺りの価値観は人それぞれだと思うので,どっちがいいとは言いません.

僕は,自分の人生に起きた今までの出来事全てに感謝しています.苦しかったり,悲しかったり,ひどい仕打ちを受けたように感じたり,人より遠回りしたように思う事も本当に沢山ありますが,別に誰かを恨んだり,憎んだりしなければいけなくなるようなことは何もありませんでした.全ての経験が,自分の知らなかった色々なことを教えてくれたし,自分の知らなかった自分に気づくきっかけを与えてくれました.全ての経験が,それまで以上に自分を高めてくれました.

ネガティブな結果が出てきたら,それはポジティブな結果につなげるための方向転換のきっかけなのだと思うようにしています.ともすれば,そのまま惰性で歩み,自らの成長を止めてしまいそうな状態から救い出してくれるまたとないチャンス,それがネガティブな結果というものなのだと思います.

今,自分の目の前には新たな航海に向け,慌ただしく準備を整えつつある1隻の船が停泊しています.今度の航海は何年がかりになるのか,海は穏やかなのか,嵐に遭遇するのか,先の見通しはさっぱりわかりません.しかし,少なくとも自分がこうしたいという思いは鮮明に見えています.どこに向かうべきかもよく分かっています.幸いにして,今回の航海からは心強いパートナーが傍にいてくれます.人生のスケールがちょっとだけ大きくなる感じがして,まだ残されていたフロンティアへの冒険に一歩踏み出せることに,大きな喜びを感じています.

素直に,真摯に,感謝の気持ちを忘れず,これからも人生を歩んでいきたいと思います.

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