ゼロリセット

昔々,私がスイスに留学したときのお話.

街のスーパーに併設された電気屋さんに行って,20数台展示されているテレビの中に,自分の勤めている会社のテレビが隅っこに1台しか展示されていなかったのを見て,愕然とした記憶があります.日本では地デジへの切り替えで薄型液晶がバンバン売れていた時代にです.日本の家電量販店には,当時は一番客通りの多いフロアにデカデカと展示されていたものです.

「ああ,うちの会社がテレビの圧倒的なシェアを握っていると思っていたことは,この国では通用しないんだな,井の中の蛙だったんだな」とその時思いました.世間的な評判でも,自分の理解の中でも,この会社はグローバルに影響力を持った会社であることを疑いませんでした.だから,「世界的なブランド力を持っているはずの会社なのに,なんで街の電気屋さんに一台しか売ってないの??」と本当に不思議でした.

でも実際問題,大学の友達の家に行けばそこには普通に韓国製の液晶テレビが置いてあり,そのテレビがどこ製だとか,ブランドがどうだとかいう意識はユーザには全くないというのが現実だったのです.そもそも,映像を楽しむという点においては商品のクオリティはどこ製を買っても十分に高い水準に達していたので差は分からない.だから,電気屋さんで普通に買って帰れて,支払える価格なら買う.選択基準は,ただそれだけの理由だったのです.もちろん友達に聞けば僕の勤めていた会社は誰でも知っていたし,すばらしい製品を作る技術力のある会社だ,と言っていました.でも,少なくともテレビはローザンヌにはほとんど売ってないし,ほとんど誰も持っていない...(珍しく直営店はあるのにね!)不思議でした.

つまり,日常生活を考える上では,日本製だろうとか,日本のブランドだろうとか,どっちにしろ外国のブランドを買うことになる彼らにとってはどうでもいいってことだったんです.街の電気屋さんにある選択肢の中で,自分の身の丈に合った商品を買う.ただそれだけのことだったのです.

そう考えると,まあ消費者の手に届きやすくするためのマーケティングが大事だよねとは思うのですが,もっと根本的な問題は,日本の「大本営」でお仕事をしている人たちには,戦場の最前線が見えていなかったってことなんじゃないかと思うのです.

韓国のテレビに売り場を席巻され,日本のテレビが街の家電量販店の売り場から姿を消しつつあったのに,その現実にどれだけ気づいていたのだろうと思います.下から上がってくる数字を見ればある程度のイメージはつかめたのかもしれませんが,現地に住む人々の生活空間の雰囲気や価値観までは理解できていなかったのではないかと思います.確かに大都市では辛うじて影響力を保っていたのかもしれませんが,ローザンヌみたいな田舎町では,ほぼ韓国と某オランダの会社の製品ばかりでした.

まあ,これは2009年ぐらいの話ですが,もっと前の2000年ぐらいから,東南アジアを旅行すれば,空港から市内への高速道路沿いには某韓国企業の看板ばかりがズラズラと並んでいて,こりゃすごい攻勢だな,日本メーカー大丈夫なのかいなとは思っていました.

新しい社長に変わると,社長による世界中の工場の「視察」が行われるのが慣例ですけど,これはまあ,行動力ややる気のPR戦略,いわゆるパフォーマンスとしては有効かもしれませんが,3.11で原発が事故ったときに某首相が現地に乗り込んで事態を混乱させたのと同じぐらい,意味の無いことだと思います.付き人を何人も連れて,車で工場に乗り付けて,綿密にスケジュール管理された導線をただ通り抜けるだけの「視察」をしたところで,「末端カスタマー」のライフスタイルなんか理解できっこありません.

これじゃあ正しい経営判断をするための素養を身につけることなんかできないでしょう.新興国市場を開拓したいなら,なおさらのことです.現地にはエコノミーで乗り込んで,お腹を壊すことを覚悟の上で食事はどこかの市場の食堂でして,宿泊は一般の家にホームステイさせてもらうぐらいの意識を持っていないと,その国に住む人の生活水準や価値観,「何を本当に必要としているのか」は理解できないはずです.こういう思い切った行動をエグゼクティブが出来ないというのなら,せめて技術戦略やら商品企画やら立派な名前のついた部署で日々頭をひねりつつパワポを作っている人々が実践するべきだと思います.世界市場を狙ってグローバルな会社であると宣言したいのなら.

現代の世の中において,ブランドを重視する人々がいるとすれば,新興国で見栄を張りたい富裕層ぐらいでしょう.壊れにくいとかサポートが充実しているとか,高いクオリティを持っているのに安くてお得感があるとか,そういった地に足のついた評判を高めることは良いことだと思いますが,ブランド力だけで指名買いさせるような,それまでに築いてきたイメージの上にあぐらをかくような戦略は間違っても取ってはいけないと思います.技術でもマーケティングでも,泥臭く,実直な努力の積み重ねの末にユーザの心に自然と浸透し,高められる評判というものを,どんなに成功している時も忘れてはいけないのだと思います.

遅かれ早かれ,(倒産するとかそういう意味ではなく,変なプライドを捨てて原点に返るという意味で)ゼロリセットする時が来るのだと思います.戦後の焼け野原から事業を興した原点に立ち返って,事業規模やら何やらと後付けの理由でがんじがらめになっている構造的な制約を全て取っ払い,報酬には目もくれず自分たちが本当にワクワクできる技術を必死な思いでコツコツと積み上げることができるところまでメッキをはがし続け,全体が昇華しきった時に,初めて地に足のついた復興が始まるのだと思います.

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