最近雨続きで洗濯機の中がだいぶすごいことになってきたので、まだ雨は降り続いているのですが、天気予報をチェックしてとりあえず明日は晴れという予報を信じて洗濯機を回してしまいました。とりあえず今夜は部屋の中に干しておいて、明日朝早く起き次第外に干すつもりです。夜中に雨が降り出して朝起きたら洗濯物がビショビショになっていたという苦い思い出もあるので、怪しい天気の時には決して外には干さないようにと心に決めています。
さてさて、こんなどーでも話はおいといて(/_・)/
今日は、英会話について多事争論!
就職の時にはTOEIC、就職の時にはTOEFLといった感じで、その人の語学力を評価する指標として、こういった資格がよく利用されますよね。たとえばTOEICを例にとると、確かにヒアリング問題から始まって文法、語法、読解などなどいわゆる受験英語で身につける様々な知識プラスアルファが評価できるように思います。でも、これらの点数が高いことは英語をスムーズに話せることの指標にはなっていないと僕は思います。なぜなら、こういったテストは、人と人との会話で人間が実行している重要な思考過程を評価していないと思うからです。
それは、文章にするのは若干難しいですが、イメージ的には、心の中で伝えようと思っている言語になる以前のもやもやとしたイメージを自分の知っているボキャブラリーの範囲に落とし込んで言語化するという過程とでも言えるでしょうか?
TOEICなどのテストでは、そもそも自分が何を伝えたいとか考えません。さらに、それを自分の知っているボキャブラリーに落とし込むという作業も必要とされません。なぜなら、「言いたいこと」および「それを表現するための単語」はすでに問題の中に、問題文として、もしくは選択肢としてすべて書かれているからです。だから、たとえばテスト中にもかかわらず、選択肢の単語を見て、「こういうことを伝えたいときには、こういった単語で表現すればいいんだ、なるほどね」とか妙に納得してしまっている自分がいたりします。本来、この選択肢の単語は会話の時には自分で思いつかなればならないものなんですよね。
まあ、あと英会話について言えることは、そもそもその人がしゃべり好きで伝えたいことが思いついてしまうような人かどうか、とか、日本語でもやたらいろんな人とすぐうち解けることができる社交的な人かどうかということが、英会話の能力にかなり反映されていたりすると思います。そもそも、母国語でさえ、寡黙な人は英語でもそんなに話そうとは思わないでしょうし、それによって会話能力の向上が阻害されてしまうということもあるかもしれませんしね。要は、語学力とはそんなマーク式のテストで評価できるような単純なものじゃないよ。ということが言いたかったわけです。
「ああ、こんなに遅い時間になっちゃった」というわけで、今日のところはこの辺で、おやすみなさい。