自分の理想像と血液型

みなさんは血液型性格判断を信じますか?

僕は、こういった類の話は占いと同じで、当たっていると思ったことにばかり注意が向き、当たってないことはあまり意識しないがために、あたりさわりのないことを書いてあるだけでも、「血液型判断は結構当たる」とか勝手に思いこんじゃうだけなんじゃないかと思っています。

でも、血液型と性格に関連性があるかどうかは別として、客観的に性格の分類を列挙してもらって、それが自分に当てはまるかどうかということを考えるのは、普段自分一人では気づかないようなことに気づくきっかけを与えてくれるので、実は結構楽しんでいたりします。

ちなみに私ことかわせみはAB型ですので、一般的な性格判断の文章では、二重人格で変わり者であるという特徴がたびたび挙げられています。でも実際には、私は多くの人に対して几帳面だという印象を強く与えているらしく、A型だと勘違いしている人が結構いるようです。僕の場合、ほんとうは二重人格なんだけれども、慎重な性格が災いして、普段はよそ行きの自分ばかりを見せているがために、結果として几帳面な部分ばかりが前面に出てしまい、もう一つの性格の側面が出てきていないのかなと思ったりします。

ある性格判断の文章にはAB型男性の特徴として、下記のようなものを挙げています。

「防衛本能が強く、相手の事が分かるまでは自分をかくして様子を伺い、安心するまでは本当の自分を出さないところがあります。」

上の文章と照らし合わせると、これ、結構当たってますよね。

さらに、

「何事にも端で一歩おいた距離にいるような、冷たい感じを受けますが、でも人から頼りにされると放っておけない気の良いタイプです。」

自分で自分の性格を良く言うのは自画自賛系でちょっと嫌ですが、これも結構当たっていたりします。実際、客観的立場に立ってものを考え、クールであることを普段の自分の理想にしていたりするからです。

多くの人は私の性格の几帳面さに注目する人が多いということを書きましたが、そういう人はまだ私と飲む機会が少なくて、私の本性をよく知らない人たちです。なぜなら私は、自分自身が几帳面であることを理想とは考えていないからです。几帳面な人というのは、何事にも細かく計画を立てて慎重に行動するので、確実に成功を収めることができる反面、いったんある問題にはまってしまうと、ある小さな問題点に固執してしまうがために、幅の広い視野で物事をとらえることができなくなってしまうことが往々にしてあると思うからです。

僕にとっては主体性がないと言われようとも、

「流されるままに、ごく自然体で人生を歩いていきます。」

実はこっちの方が理想の姿なんです。

そして周囲の人々には

「AB型男性とつきあう時は、外見だけでなく内面を深く見ることが必要です。」

こうあってほしいと、常に願っているのです。

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