毎日家に帰ると必ず郵便ポストに広告ビラが入ってます。で、まともに見ることもなくそのまま、その下に置いてあるゴミ箱に直行です。こんな運命にあるビラ達なのに、何でいつまでたってもポストに入り続けるのでしょうか?
確かに、ビラが山ほど入っていると、たまには本当に僕宛の郵便物とかが紛れているので、少なくとも一つ一つ確認しながら捨てずにはいられません。だから、今日の場合も、「ああ、あの出前の寿司屋のウニはうまそうだったなあ」とか「今度排水溝が詰まったらあの掃除屋に頼めばいいんだ」とか考えるわけです。もしかしたら、そこがビラを配っている側の意図なのかもしれませんね。少しでも印象に残ればそれでいいと。そんな刹那的な目的の下にあんな派手なビラを毎日毎日僕の郵便受けに入れているのでしょう。
まあ、毎日郵便受けが空っぽであることに比べれば、何かしら入っていた方が何となく気分がいいので、僕は特に迷惑だとは感じていませんが、ご苦労なことだなあとは思います。郵便受けのすぐ下にゴミ箱が見えていながら、チラシを配る人々も少し、自分の心に手を当てれば、虚しさを感じるのではないでしょうか。同じ仕事をするにしても、少しでも意味のあるというか、何かを変えられる仕事の方がやっていてうれしいのではないかと思うのです。
ビラ配りみたいに、相当効率の悪い仕事をするのは、仕事を仕事として割り切らないと、とても続かないでしょう。自分の労力がどれだけ生産的にはたらいたとかは、一切考えてはいけないのです。むしろ、結果として得られた報酬で、自分のプライベートがどれだけ楽しくなったかで、評価しなければいけないでしょう。そう割り切れば、こういった刹那的な仕事でもそれなりに続けられるのかもしれません。でも、僕はそんな仕事したいとは思いません。時間がもったいないです。有限の人生を無駄に過ごしているような気がして。仕事も、人生の糧の一部だと僕は思っているのです。
しかし、そう贅沢を言っていられないのも世の中の事実なわけで、色々な立場の人がそれぞれの思いで様々な仕事をしているから、この世界は回っているんですよね。
今日も僕の郵便受けにビラを入れていたお兄さんか、お姉さんか、おじさんか、おばさんかわかりませんが、そのひとが僕の郵便受けに「ゴミ箱直行ビラ」をいれることによって、例えばそのひとの今週末のデートがちょっとでもリッチになり、幸せな時間を過ごせるのなら、毎日ポストを開けてビラをゴミ箱に投げ込むぐらいの僕の労力は惜しんではいけないなと思います。
そんな、どーでもいいことをアルコールに侵された脳みそで考えながら今日も日記を書いてみました。では、おやすみなさい。
今日のアルコール度数:★★