僕の読書遍歴

みなさんは、いわゆる文字ばっかりの本、例えば小説とかを読み始めたのはいつでしょうか。僕は今思い返すと、結構遅くて、小学校5年生ぐらいだったと思います。

恐らく僕が文庫本で一番はじめに読んだのは、新潮文庫で、星新一のショートショートです。初めて読んだときは話の予想外の展開にとてもびっくりして、新鮮で、文字ばっかりであるということが全く苦にならなかった印象があります。それに、ブラックユーモアが沢山あったのを怖いもの見たさで読んでいたような気がします。でも、何冊か読んでいるうちに、何となくワンパターンだなぁと思うようになり、読まなくなってしまいました。

その次は、小学6年生ぐらいだったでしょうか。この頃はちょうど、西アフリカのマリ共和国という国に1年半ほど滞在していて、日本から持って行った小説とかを読んでいた記憶があります。確か、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とか、夏目漱石の「吾輩は猫である」とかそんなのだったと思います。

マリに滞在していたときは、周囲に全く日本人がおらず、たまにアメリカンスクールの友人のうちに遊びに行くとかぐらいしか遊ぶ方法がなかったので、基本的に、学校から帰ってくると暇でした。学校から帰ってきた後は、約2時間ぐらい、日本の教科書とかを使って通信教育で自習をしていたように思います。

他にやることがないので、この頃は、1週間遅れぐらいで届く日本の新聞やら、教科書やら、小説を隅々まで読んでいたように思います。テレビアニメとか、魅力的なものが全くなかったので、娯楽といえば、そういった文字媒体から得られる情報だけだったんですね。なので、教科書なんかは、何度も読み返していて、隅々まで覚えてしまっていたように思います。特に、理科の資料集とかは大好きでした。

今思い返せば、当時はとっても退屈だったのかも知れませんが、必然的に読書をする環境になっていて、新聞を読んだりして自分なりの考えを持つとかいう習慣はこのころについていたように思います。

中学1年の夏に日本に帰ってきてからは、その名残でまあまあ本を読んでいたと思います。この頃のお気に入りは、北杜夫、椎名誠、向田邦子とかでした。

北杜夫は、躁になったり鬱になったりする精神状態がそのまま文章に表れていて、お医者さんでもこんな人もいるんだとか思って、それが新鮮で、読んでいたように思います。躁の時のはちゃめちゃ度合いが面白くて仕方なかったように思います。「どくとるマンボウ航海記」とか「船乗りクプクプの冒険」がお気に入りでした。

向田邦子は、「父の詫び状」が教科書に載っていたのがきっかけとなって読み始めたように思います。明治時代の厳格な父親像、でもとても人間味あふれる描写に感動して、彼女の考え方とかが気に入り、色々読みました。時々、すごく大人の女性の心理描写を垣間見て、中学生ながらちょっとドキドキしながら読んだ記憶があります。

彼女にまつわるエピソードで印象的だったことのひとつに、いつか自分は航空機事故にあうのではないかということを考えて、海外に出かけるときは、いつ事故にあってもいいように部屋を片づけているという、何か自分の未来をすでに知っていたかのような出来事に、とても運命的なものを感じたということもありました。

高校の時は、現代文の教科書に載っていた作者の本を探し出して読んだりとか、大学に入ってからは、青春小説ばかり読んでいたように思います。

でも今は、ほとんど読まなくなりましたね。不思議なぐらい。何か現代の作家の文章って、読み切りというか、使い捨てというか、はやり廃りが非常に激しいと思うのです。何故だか分かりませんけど。なので、何度も読み返そうと思わないし、自分の中で何かを得るということもあまりないように思うのです。まあ、それだけ自分自身が精神的に成長したということもあるのかもしれませんが。こんな気持ちが、あまり読書に向かわせなくなったひとつの理由だと思いますが、根本的には忙しくてあまり文学系の読書をしなくなったということが原因だと思います。時間を作ってやっと読める時は、研究に関連する本を読むしかなかったりするのです。

僕にとっては、国語の教科書が世に出回っている小説のダイジェストとなっていて、色々な作家との出会いの場であり、読書をするきっかけになっていました。もし、そんな風に思っている人が沢山いるのなら、社会人向け国語の教科書みたいなものを作ったら、ベストセラーになるかもしれませんね。

このアイディア、出版業界に勤める人がいたら教えてあげたいなぁ、と、ふと思いました。

今日のアルコール度数:★★/2

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