もの申さない自分

昔と比較すると、最近は世の中の色々なニュースを見ても、いらだちをおぼえたり、わだかまりを感じたりすることが少なくなったなぁと思います。

かつては、貿易問題とか湾岸戦争とか政治家の汚職とかPKO活動の問題とか色々な社会問題が起きるたびに、それらがまるで自分自身に起きている問題のように感じ、どうあるべきという理想を考えて自分の意見を持っていました。でも今は、アフガン戦争、イラク戦争、自衛隊派遣、北朝鮮問題とかのニュースがあっても、何も考えずに、誰かに判断を委ねるような気持ちになっています。

まあ、比較対象年齢が中学、高校時代だったりするので、ただでさえ思春期といわれるぐらいの多感な時期で、そうあって当然なんでしょうけど、何となく今の自分は物わかりが良いというか、頭を使っていないというか、よけいなことを考える余裕がなくなっているというか、良いのか悪いのかどちらとも言えませんが、悪い大人になってしまったのかと思います。

今、かつてのもの申している自分に会って話をしたら、どう感じるでしょうか。恐らく、NHKの「しゃべり場」の番組を見ているような感じになるかもしれません。色々と大人っぽく意見を述べているように見えるけど、物事を一面からしかとらえておらず、それが正しいと真剣に信じて何かを発言するのです。これって、何かを議論する上ではとても大切な姿勢だと思います。一方で、そんな初々しい姿を見てしまうと、今の僕なんかは気恥ずかしくていてもたってもいられなくなるでしょう。

要は、人間の綺麗な面も、汚い面も数々目にしてきて、人間として、少なからず汚い面も受け入れざるを得ない、必然的に伴ってしまう、という点で妥協ができるようになってしまったのだと思います。

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