今日は弓の残金を振り込みに銀行に行ったあとは,ちょっとばかり冬休みの宿題(仕事)をし,そのあとはずっと楽器の練習してました.
新しい弓にしてから非常に音がよくなって,弾きやすくなってうれしくて仕方ないんです.さらに,久々に先生に指摘されたことを修正しようと思って,昔のように基礎から練習をすることにしたのです.
というわけで,早速はじめたのが音階練習です.最初はゆっくりとロングトーンを弾いて,均一で芯のある音が安定して出せるようにする練習.そして,徐々に一弓に入れる音符の数を増やしていって左手の練習...とまあ,昔にしてみれば何でこんなつまらないことをやんなきゃいけないのとしか思わなかった練習です.
当時は,本当にスケールの練習はつまらなかったです.まだ気持ちが若かったからですかね.心を据えて,地味な練習をすることより,早く憧れの新しい曲を弾きたいということにばかり興味がいっていたんでしょう.
でも,今は違います.あるひとつの曲というのは,スケールそのもの,もしくはその練習を通じて身につけられる技量の塊,違う言い方をすれば,スケールのバリエーションのひとつに過ぎないということがわかったのです.
だから,逆に考えればスケールを練習する代わりに(つもりで)曲を練習するということも可能かと思いますが,曲にはメロディーという要素が入ってくるので,純粋にポジションとか音程の正確さといった要素が見えにくくなってしまうのですね.なので,曲の代わりにスケールを練習し,そこで見つかった運指の曖昧さとか,音程のいい加減さをあぶり出して,ひとつひとつつぶしていく練習をする方が効果的なのです.
事実,曲はまったくさらわずにスケールだけひたすら1時間ぐらい練習したあとに,メンコンをちょろっと弾くと,音程が見違えるようによくなっているし,ポジションもすっと決まる,弾きにくかったパッセージもすんなりと演奏できるようになってしまうのです.不思議でしょう.
こんなにスケールが偉大なものだとは,かつての幼かった僕は知りませんでした.当時は,変化の無い山型に並んだ音符の列,長ーいスラー,シャープやフラットがいっぱいついて読みにくい楽譜...というネガティブな印象ぐらいしか持っていなかったのです.
このスケールの偉大さは,もちろん当時からヴァイオリンの先生はもちろんのこと,大学時代のオケの先輩からも耳が痛くなるほど聞かされていました.でも,字面で理解していても実感を伴って理解していなければ,その「ありがたいお言葉」は自分にとってまったく価値を持たないものだったのです.
このことは別に楽器の練習に限ったことではないと思います.最初はより高度な応用問題が解けるようになることを目指して,いろいろと難しい問題集とかを買ってみるけど,結局それが基礎の積み重ねであったり,形を変えたものに過ぎない,もしくは応用問題を解くために必要なひらめきは,基礎問題を地道にこなしてきたものの上にあるのだ,ということに気づかされるのです.
楽器の練習は,自分との戦いだったりします.途中でこんなもんで良いかと思ったり,もっと違うメロディーを弾きたいと思ったりして,先に進むことも簡単にできるけど,そうやって一曲を弾いただけでは,ただ表面を撫でただけで,ほとんど何も変わらないのです.また,そういう妥協をしてしまう姿勢,意志の弱さというものは楽器演奏以外の面でも如実に現れてくるものだったりします.
結局は,「今の何か違う」と思った瞬間に立ち止まって元に戻り,何かを変化させて演奏し直してみるところから,初めて本当の練習の意味が出てくるのです.その積み重ねが繰り返されてやっと一曲を演奏し終えたとき,何か質的な変化が起きるのではないかと思います.
だから,本気で楽器を練習するってことは意外と仕事とかでも応用できるような気持ち的なノウハウがいっぱいあるように思います.もちろん,「ちょっと趣味程度でさらさら弾ければ良いので~」なんて気持ちでやっていたらあまり意味無いと思いますけどね.