あはあは。。。
と、まあこんなテンションになっているときは、大体ご想像の通り、アルコール入ってます。今日は久々に、話題が自分の許せない琴線に見事に触れ、言いたいことを言い、楽しく話をさせていただきました。でも、何の話題でそんな気持ちになったのかを一切忘れているところが、アルコールに侵された人の面白いところで、何を話していたのか既に記憶がありません(/_・)/
明日はオケの練習があるはずなのに、何時なのか確認し忘れたので、早めに会社に行って、確認をし、余った時間で練習をしたいと思ってます。
で、今日の本題は仕事とプライベートのバランスについてです!
今日の飲みでも話題にあがったのですが、自分の仕事の結果が社会に対して大きなインパクトを持ち、その結果が自分の満足と直結しなくてもオッケーか、それとも、あくまでも自分の幸せに軸足を持ち、今の仕事は自分の幸せ感を味わうためにやっているものなのかという議論になりました。
僕は、後者、あくまでも自分が幸せになること、嬉しくなることを考えて仕事しているのですが、それを言ったら、対立意見が出てきたというわけです。
ちょっと論旨はずれますが、僕は、基本的に自分のやった仕事の評価は、生きているうちに受けなければ、何の意味もないと考えています。だから、ある芸術家の作品みたいに自分が年老いたり、死んだりしたあとにいくら「あの作品は素晴らしかった」と言われても意味がないと思っています。ある意味、これって非常に自己中なんですが、僕はそうでなければ自分のやっていることは意味がないと思っています。
つまり、世の中を驚かせたり、すごい、と言われることを自分の生きているうちに実現したいと思っているわけです。だから、「歴史に名を残す」ということには価値を感じません。だって、自分が死んじゃったら、そんなこといくら言われても関係ないじゃないですか。
なんて、こんな調子でかなり極端な方向に意見を振ったら当然、反対意見は出てくるわけで、その議論をすることは非常に面白いことでした。もちろん、僕のポリシーは上に書いたことで変わりありませんが、やはり、こういう考え方って、人の感動は得られないことなのかもしれません。教科書を見ても、「自分の幸せより、全体の幸せを考えて行動した」という人の方が明らかに、歴史に名を残していますから。
とまあ、この論旨の延長線上に仕事よりもプライベートにウェイトを置くという僕の持論が展開されるわけですが、どうでしょうか、自分が直接、生きているうちにその幸せを味わえることよりも、そのような幸せを予測できることをもって自分の幸せを実感できるでしょうか?
きょうはアルコールが入っているので、文章の乱れはご容赦下さいませませ。。。
今日のアルコール度数:★★