必然性

韓国では、整形がブームというか、最近は、ごく健康であるにも関わらず、なんのためらいもなく自分の顔に手を入れてしまうような風潮があると、週末のテレビ番組で特集をやっていました。

韓国の有名な俳優や女優はほとんどの人が何かしら整形をしているし、韓国の大統領まで自分のまぶたを二重にして喜んでいるそうです。大統領まで堂々と整形をしてしまう韓国の文化って変わってますね。

整形をしている人には失礼かもしれませんが、特に二重にする整形とかは注意してみると、ちょっと不自然なので、これは整形しているなということが意外と分かってしまい、僕個人的には、痛々しい印象の方が強くなってしまいます。

確かに、本人がそれでコンプレックスを克服したり、幸せな人生を送れるならば、第三者がとやかく言う問題ではないと思います。ただ僕が自分自身で思うことは、自分なら例えどんな小さなものであれ、整形はしないだろうし、自分が好きになる人には整形をしていて欲しくはないということです。

その理由はいたって簡単で、今の整形の技術が未熟でまだ信頼に足らないという実利的な問題があるということ、そして、親密な関係を持つ人とは、お互いありのままの姿で接していたい、家にいるときまで仮面をかぶって接するようなよそよそしい関係ではいたくない、という主観的な気持ちがあるからです。

もちろん大切な人には美しくあって欲しいですが、別に整形をしてまで美しくあって欲しいとは思いません。結局、本当に親しい関係を築けるかどうかを考えていくと、それはもはや外見上の問題じゃなくて、お互いどれだけ共通のものを見いだせるかとか、共感できるかとか、補えあえるかとか、自然体でいられるかとか、最終的には内面的な問題に行きつくのだと、最近、思うからです。

僕にとっては、人為的に作り出された形式的な幸せより、人間の力の及ばないところで必然的に生み出された運命の方が、受け入れられるのだと思います。

今日のアルコール度数:★/2

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