手は語る

僕は、自分の手が映っている映像を見るのが嫌いです。

仕事の性質上、プレゼンなどのためにロボットのデモビデオなどを撮影することがあるのですが、その時に色々と自分で映像の中のオブジェクトを操作する、自分の手つきが気にくわないのです。

自分の声を録音して聞いたときに、別人の声だと思うのと同じような感覚でしょうか。自分の手の動きなんて、普段はあまり意識して見ていないのですが、映像という客観的な視点から観察すると、気づかなかったような様々な特徴が浮かび上がってきます。

何がいけないのかというと、まず、基本的に手つきがクネクネしていて、なんか目障りなのです。まあ、指をフル稼働して楽器を弾いたりするので、必然的に指先の動きが普通よりは多少柔らかいということがあるとは思います。でも、どう考えても余計な動きが多いです。

手の動きだけに限らず、ものをつかんだり、移動したりするときの指先の姿勢も嫌ですね。なんとなく、シルエットに潔さがないです。「ものを持つときは、もっとガバッと持てよ」と言いたい。

そして、次に嫌な理由は、その手の動きに自分の気持ちが如実に現れていて、それを第三者に見られるのが何だか恥ずかしいということです。別に格好つけて撮影したところで、プレゼンには何の意味もないのですが、実験中の焦った気持ちとか、ハラハラ感が手先の動きに出ているのは、どうにも許せません。

だから最近は、なるべく自分の手が映らないようにしたり、意を決してカメラの前に登場させるようにしています。

昨年旅行に行く飛行機の中で、隣に座ったおばあさんに「綺麗な手をしてますね、女性の手みたいですよ」と言われたのが、そもそもこんなことを考えるきっかけになっていたりします。その時には「何の苦労もしていない証拠です」なんて答えていましたが、実際これはいいことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?

「その人の裕福さを知るには、まず靴を見ること」とか「目は口ほどにものをいう」とか言われるように、色々とその人の特徴や心理状態が外見に現れてくるということがありますが、実は「手」もその人の歴史や性格の多くを、本人の知らないところで勝手に他人に語り続けているのかもしれません。

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