カタール人について

僕の名刺を見ると、肩書きの欄にはリサーチャーと書かれています。当然のことならがら、日本語で言えば研究者なわけで、日々よしなしごとを研究しているから、リサーチャーなんですね。

しかし、僕の、本当にひねくれていて、主観的な観点から見たリサーチャーという人々は、よーく考えるとあまりたいしたことの無いようなこと、もしくは当然すぎてあまり気にしなかったようなことを取り上げて、その魅力を最大限に引き出して「語る」人々だと思っています。

もちろん本当に偉大な研究者は、尊敬すべき新たな発見をし、誰が聞いても心から素晴らしいと思える名言を多く生み出しているのは事実です。でも、大半の研究者は、「語り過ぎる」傾向があるので、僕はちょっと疑心暗鬼になり、一歩下がって見てしまう感じがあるのです。

「語りすぎる」傾向にある人の話を聞いていると、怪しい宗教に誘われていたり、壺や水晶玉を売りつけられているような気分がしてしょうがないのです。

研究者の語り度合いは、特にロボット研究コミュニティに顕著なような気がします。大学時代にもそのような「カタール人」が周囲には沢山いましたし、自分も対外的には「カタール人」になりきっていました。

その反動なのでしょうか、今の自分はこの世界で起きている現象をなるべく客観的な視点でとらえ、必要以上に主観的な解釈を加えることなく評価したいと考えることが多いです。少なくとも、その主観的な解釈が、万人に受け入れられそうもないのならば、あえて言葉にして表現はしないようにしているのです。

でも、この姿勢は間違いなく研究者として損をするタイプの人間ですね。少なくとも研究者として名声を得るタイプの人間ではないです。

実際のところ、誇張どころか自分で密かにすごいと思っていても、それをあえて表現せず、気づかれないならそのままにして、自己満足で終わってもいいというぐらいまで、考え方を正反対に振っていたりするので、さらにたちが悪いかもしれません。。。

まあ、僕がリサーチャーという職種についているのは、自分のアイディアを自分のペースで実現するという、比較的時間的にゆとりを持った仕事ができる点を気に入っているからなので、世の中から注目されるかどうかということは、メインの評価指標ではないのです。

要するに、僕はリサーチャーという肩書きを持ったエンジニアなのだと思います。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*