何でも自分で

親戚と会うと、僕は昔、何でも自分でやらないと気が済まない子供だったと、よく言われます。

例えば、気を利かせてミカンとかの皮をむいてあげると、そのミカンは食べずに、まだ皮のある方を要求したとか、靴下がはけないのを手伝ってあげたら怒り出したとか、バンドエイドをつけてあげようと思って、シールの部分を剥がしてから渡したら、泣き出して自分で自分の頭を壁にぶつけていたとかいうエピソードがあったそうです。

そして、その時に必ず口にしていたのが「なんでもじぶんでー」という言葉だったそうです。

バンドエイドの例とかは、自分で剥離紙の部分をとても剥がしたくてしょうがなく、怪我をしたときにしか得られない、貴重な楽しみだったので、それを他人にやられてしまい、悔しくてしょうがなかったというのが、そのココロだったと思いますが、今思えば昔はどうでもよいことに一生懸命だったなぁと思います。

他の例では、バスを降りるときのブザー押しとか、昔は数少なかった自動改札に切符を入れることとか、自動販売機でジュースを買うこととか、何かの機械を操作したくてしょうがない衝動がありました。

ブザー押しとかでは、一つ前の停留所を発車してから降りる停留所で止まるまでに、他人に押される前に、いかに自分でボタンを押すかということにいつも一生懸命でした。

大人ばかりが乗っているときは、比較的精神的余裕があるのですが、同じ価値観を持った子供が乗っていたりすると、停留所を発車してから、ある程度動き出すまでの間に、早すぎてもダメ、遅すぎてもダメという条件の下で、どっちが先に押すかということを真剣に勝負していました。

この操作系の話に関連して、子供なりにすごく憧れていたこともいくつかあります。

1つめは、バスの運転手さんが車内アナウンスを流すときに押すボタンを、是非自分の手で押したかったということです。自分の知る限りの押しボタンの中で、最も大きいあの赤いボタンは、子供時代の自分にとって、あこがれの的でした。押したらいったいどんな感触なんだろうということをいつも頭に描いていました。

2つめは、これもまたバスネタなのですが、整理券を発行する機械とか運賃箱が欲しかったということです。

今思えば、そんなものあっても邪魔なだけですが、当時は、ティッシュを箱から取り出すのが好きな子供のように、好きなだけ整理券をとるということは、一種の夢でした。そして運賃箱は、お金をじゃらじゃらと上から入れ、整理券と硬貨とに分別されて収納されていく仕掛けが眺めていて飽きなかったので、好きなだけ硬貨と整理券を入れて遊びたいといつも思っていました。

こう考えると、当然のことながら、何でも自分でやりたがるという性質、そして、昔憧れていた一連の興味というものの延長線上に、今の自分の性格、そしてやっている仕事が見えてきます。

何十年も前に既に、今に至る伏線があったのかと思うと、人間の人生ってなかなか面白いものだなと思います。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*