格差か個性か

僕は、東京以外に実家がある人に結構あこがれます。

何となく、東京に実家があるのって郷愁とかを感じにくいように思うのです。その土地出身であるということの仲間意識みたいなものも薄いような気がしますし。

特に、多摩ニュータウンに代表されるような戦後の高度成長期に都市計画された街というのは、当然のことながら全く歴史がないし、結果としてその土地独特の雰囲気とかがなく、あらゆる意味で無機質、均一、癖がないのです。

だから、自分の生い立ちを振り返るとき、田舎が他のどこでもなく、そこでなければならないという必然性をあまり感じないのです。

まあ実際のところ、もう少し視点を広く持って見てみれば、実は東京以外の地方都市も意外とどこも同じような顔をしていて、個性がなくなってきているのかなとは思います。

日本は地方と中央との格差をなくすために、まんべんなく公共事業をやっていて、どんな田舎に行っても道路が立派に舗装されていたりするのは本当に驚きで、世界に誇るべき点だと思います。

新幹線とか、高速道路も整備されて、昔に比べてどこに行くにも移動時間が短縮されてきていると思います。公共事業に限らず、様々なサービスが全国展開していて、どこでも同一のサービスが受けられるようになっています。

全国どこに行っても、東京と同じテレビ番組が見られますし、携帯も何の切り替え操作もなく普通に使えます。どこにでも必ず、セブンイレブン、ファミマ、ローソンがあります。

でも、結果としてその土地でなければ味わえないような独特の雰囲気を感じることができなくなってきていると思います。

格差という言葉で表現すれば、ネガティブなだけですが、個性、文化という言葉で表現するべきものが失われているのです。

その土地に住む人にとっては不満であり、改善を望むものなのかもしれませんが、旅行をする立場の一人間としては、楽しみが少なくなってしまうことを少し残念に思います。

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