からくりに思う

例によって深夜NHKスペシャルを観ていたら、現代の日本の技術者が江戸時代に制作された万年時計を復元するというドキュメンタリーをやっていました。

その万年時計を設計、製作したのは田中久重という幕末から明治にかけて活躍したの技術者なのですが、東洋のエジソンと言われるほどすごい人で、その迫力は画面を通じて観察したメカからも伝わってくるほどのものでした。

今回もやはりポイントとなっていたのは、ある目標を達成しようと思う高い志と、妥協しない強い精神力、失敗にめげない忍耐力でした。そして何より、時計に作り込まれたからくりの独創性に圧倒されました。

子供の頃、家の中にある壊れた家電製品を見つけるたびに、分解し、その設計を行った技術者の知恵を垣間見てドキドキした昔の思い出がよみがえってきました。

現代の工業製品は、「規格」という意味で世界で共通の指針に従って設計がなされており、例え違う国で製作された部品であっても組み合わせることができることによって、現代の工業化社会を築いていると言えます。

しかし一方で、ある統一された指針に従って製作しないと汎用性がなくなるということで、物作りにおける独創性が失われているように思います。何かを作ろうと思ったとき、規格があることによって参考にできる過去のノウハウを参照することができるため、よりよい解を追求することなく妥協したり、自分の頭で深く考える機会が少なくなっているのです。

今日の番組を観て感じたこのドキドキ感は、ISOやらJISやらの規格で埋め尽くされた機械に見慣れてしまった僕の目が、あまりにも風変わりな姿をした、規格にとらわれない独創的なからくりを目にして、新鮮な気持ちになったことに関連すると思います。

また、今日のもう一つの驚きは、かつての日本が、日の出、日の入りを基準に時刻を定め、一年の中で1時間の単位が長くなったり、短くなったりしていたという、和時計の概念を持っていたということでした。

日本は西洋暦を取り入れ、世界共通の時間概念を持つことによって、グローバリズムを追求した結果、現代の繁栄があるのだとは思いますが、それによって日本固有の面白さが失われたというか、シンプルで癖がなくなってしまったように思います。

日の出と共に活動を始め、日の入りと共に休息をするという、かつての農耕民族としての日本の文化があったからこそ、このように自然の営みと一体化した時間の概念が形成されたのだろうと思いますし、実はこちらのほうが生物としての人間には心地のよい時間感覚だったのではないかとも思いました。

いつも思うことですが、共通化や効率化が万象の真理ではないと思います。無駄なことがあっても、枠にとらわれない独創性や個性、文化は大切にするべきなのだと思います。

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