究極の選択

昨日の気の迷いは,誰にでもよくあるような至って普通の感覚なのかもしれないことを今日改めて日記を読んでみて感じました.

世の中には,夢を追いたいがためにそれまでの仕事をやめて大学で勉強しなおすなど,それまでの安定した生活を投げ打って自分の理想を追うような人がいるのはよくある話です.

それまでの仕事で貯蓄をすべて学費で使い果たし,バイト生活で生計を立てながらも,夢を追うやる気と自信はまったく揺らがない,生活は以前より苦しくなりながらも,生きる実感を持って生活をしているなどという所感をいろんな記事とかで読んだりすることがあります.

でも,こういうのって,「夢を追う」とひとことで言っても,いろんなケースがあることを考えるべきだと思います.ただ単に今の生活がいやで何か違うことをしたいということだけで,決断を早まってしまうことと,今よりもっと自分の満足を得ようと思い,綿密な計画をして,実現可能性がある,もしくはリスクヘッジができているという条件の下で,今より必ずよくなるという目測のもとに計画的に軌道修正していくのとはわけが違うと思うのです.

最近電車の中で,高校時代の同級生が偶然同じ車両に乗り合わせたと思しきシーンに遭遇しました.彼らは高校卒業以来初めて再会したらしく,とても懐かしそうな雰囲気でした.

でも,その二人の姿は非常に対照的で,一人は普通に会社勤めのサラリーマンで彼女連れのいわゆる安定型の社会人.もう一人は高校卒業以来海外に渡って,バイトをしながら放浪して,自分探しの生活をしてきて,夏休みで日本に帰ってきたばかりらしく,お世辞にも服装はきれいとは言えず,真っ黒に日焼けして,いかにも苦労してきたらしい姿でした.

で,そのサラリーマン曰く,「お前みたいな自分の夢を追いかけながら日々自由な生活をしている奴がうらやましい.俺なんか休みもろくにとれずに,ろくでもない上司に付き合わされて仕事をしている.それにしてもお前,昔に比べてずいぶんと大人っぽくなったなぁ.でも,もうちょっときれいな服着ろよ.」と,で,もう一人の苦労人曰く「まあ,自分の希望でこの道を歩んでいるし,いろいろ好きなことができていいよ.」と.

とまあ,言葉的にはサラリーマンがうらやましそうな言葉を発してはいますが,明らかに哀れみの気持ちの裏返しで言っているのは明らかでした.夢を追っている友人がうらやましいのは本心だと思いますが,明らかに自分との比較で友人が惨めな思いをしないように気遣っているとしか思えない雰囲気だったのです.友人側はといえば,忙しいとは言いつつ,自分よりは金銭的にましな生活をしていて,彼女連れで安定した生活をしている雰囲気満々のサラリーマンを前にしてちょっと気まずそうな雰囲気でした.

あまりにも,対照的な2人だったのでとても印象に残ったのですが,一体どっちがいいのか,僕にはよくわかりませんでした.僕の答えはどっちでもなくて,安定した生活をしながら夢をかなえるという,非常に我侭なものだからです.

まあ,究極の選択をしろといわれたら,安定的な生活をとるかもしれませんが・・・

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