酔っぱらいの戯言

朝起きてから読み返してみて,意味がよくわからなかったし,こんなことを書いて公開して意味あるのかと思ったので,一時的に削除しましたけど,結局訂正するようなこともないので,そのまま載せることにしました.

酔っぱらった頭で書いた文章なので構成が混沌としてますけど,ご了承ください...

何か,今日は久々にまともなお酒を飲んだような感じで,ちょっとペースをつかみかねてしまいました.

要するに,酔った勢いでありのままの自分の気持ちが表面化してしまったという感じです.

世の中の常識とか,様々なメディアを通じて得た知識に基づいて,自分にとっての理想的な人間像を描き,普段から理性によってそれに適合するように自分をコントロールするということは,現代人ならば少なからずある傾向なのだと思いますが,僕の場合,本来の自分と理想に描く自分との乖離が無視できない程度に達していたがために,理性がアルコールによって抑えられたときに,違う自分の気持ちに気づき,ちょっと恐ろしくなったという感じなのかもしれません.

なんか今日の話は,我ながら結構深いですね...

自分は本当は偽善者なのかもしれない,とか思っちゃうのもそのひとつの例かもしれません.

世の中には,何でもかんでもハウツー本なるものが出版されていて,よしなしごとの失敗を最低限にすることを奨励するような傾向があります.でも,ああいうのばかり読んじゃうと,普段,ある程度は器用に生活できるようにはなるかもしれませんが,一方で人を頭でっかちにしてしまうように思います.コミュニケーション,話し方,恋愛,仕事におけるプロジェクト遂行...なんでもかんでも,こういった知識に頼って絶対的な価値を見出し,判断するのは間違っていると思います.

本当に大切なのは,そういった情報抜きに,本来自分が感じる素直な気持ちだと思うのです.今や,ありとあらゆる第三者の知識に完全に汚染されてしまった自分の本当の気持ちなんてわかるすべはありませんが...

でも,何かのきっかけで理性が抑えられたふとした瞬間に,いつもと違う感じ方をする自分が見え隠れするから,気持ちの上で戸惑ってしまったりすることがあるのでしょう.

「社会で生きていく上では,こういうディシジョンが正しいと言われているけど,本当の自分は気持ちの中でこう叫んでいるのだ...」なんて状況はどう考えても健全ではないですね.でも,そうことを不健全とも思わずに,社会の常識に自分を適合することを無意識にやってしまうまでに感覚が麻痺しているのが現代人の傾向なのではないかと思います.

また,人には少なからず,ネガティブな自分というものが影のようにつきまとうものだと思いますが,周囲の雰囲気を悪くするし,全体の幸せにはつながらないから,あえて表面化させるようなことはしないのが一般的だと思います.特に,自分の本質がブラックであればあるほど,その本来の姿を抑えようとする傾向があるように思います.

これは,正しいおこないだとは思いますけど,結局はどこかで抑えられた気持ちを昇華しなければ,精神の健全性が保てなくなっちゃうのかもしれません.

僕の場合,その手段として音楽活動があることがとても救いだと思っています.ノーミュージック,ノーライフとはよく言ったものだなぁと思います.

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