幸せは消耗品か (今日は長いよ...)

今までの人生を振り返ると,幸せを実感する瞬間というのは,それまでに持ち得なかったものを所有したり,未知なることを経験したりした時だったように思います.

ヴァイオリン教室で初めて楽器を手にして音を出したとき,父親の転勤でアフリカの地に降り立ったとき,初めて自分で買った車のキーをまわしたとき,小学校の教室で放課後にクラスメートに告白されたとき...

ただ,未知なることを経験する幸せと一言でいっても,手に入れるもの,経験することの「かけがえのなさ」によって,その幸せのインパクトは大きく変化するように思います.

例えば,お金を払って直接的に手に入れられるもの,経験できることは,お金が十分にある人にとっては深い幸せにはつながりません.なぜなら,お金さえあればいつでも手に入るという意味で,コントローラブルで再現性があり,いつでも再現できるとわかっていれば,「かけがえのなさ」など感じる余地がないからです.

くだらない話ですが,僕は大学時代にお金をためてやっとの思いで新しいパソコンを買ったとき,その夜は興奮してよく眠れなかった記憶があります.朝起きてからも,自分の枕元にちゃんとあることを確認して「夢じゃないんだなぁ~」なんて感慨にふけっていました.かわいい思い出です.

でも,今や新しいパソコンを買ったぐらいでは,幸せは実感できません.新しい環境を導入して,未知の経験をする喜びはあるかもしれませんが,手に入れるために払った特別な努力の大きさと,それまでの自分の水準からのギャップが小さい分,幸福感の深さ,持続時間が短いのです.

旅行にしてもそうです.小さい時には,一人で電車に乗って八王子から新宿に行くだけでも冒険でした.それまで大人にしか出来ないことと思っていたことを自分ひとりで達成できたことを実感して,とても興奮しました.

しかし,今となってはサラリーマンですから,お金さえ払えば飛行機に乗って好きな地にいつでも行けるぐらいの収入はあります.パスポートを手に入れる実感もなければ,空港で過ごす非日常な時間のワクワク感,離陸する飛行機でのドキドキ感もありません.海外旅行の勝手がわかってくるにしたがって,言葉が通じないかもしれないという不安感とともに外国の地に降り立つ感動もあまり感じなくなってきます.

ともすると,南極旅行に行ったとしても,子供の頃に降り立った新宿駅ほどの興奮がないかもしれません.

お金で手に入れることができ,かつ再現可能と予想できるモノ,経験というのは,すなわち消耗品なのだと思います.そして,どんどんと新しいもの,グレードアップしたものを手に入れ続けなければ,さらに鈍化していく幸福センサーを刺激し続けることができなくなっていくのです.

人は年齢を重ねるにつれて次第に幸せを実感できなくなっていくのかと思うと,ちょっと憂鬱な気分になります.両親の世代のように,戦後のモノのない時代に生まれ育ち,生活をするだけで精一杯だった状態と比較すると,スタートポイントが全然違うので,同年齢で比較したら,自分の世代はさらに幸福感の感度が鈍くなっているかもしれません.

自分にとっては,世界にある美味しいものを食べつくし,うまい酒を飲み干し,未知なる世界を踏破していくスピードが早すぎるような気がしています.活動限界まで,まだ少なくとも半分はあるであろう自分の人生のためにも,今からあまり幸福感に浸らずに,あえて苦労しなきゃいけないんじゃないかなんて,考えたりします.

でもどうなんでしょう,あまり悲観的になり過ぎなくてもいいのかもしれません.

世の中には,お金ではコントロールできない幸せがたくさんあり,コントロールできない以上,そう容易に全てを経験することはできないからです.そういった類ものは,そもそも「全て」という定義さえできません.

海外の地に降り立つ,電車に乗って各地を回り,お気に入りのカメラで写真を撮影する,こういったイベントは,再現性があってコントローラブルな,お金で買える消耗品的幸せです.

でも,どうでしょうか,旅先で異邦人を暖かく迎えくれる人々とのコミュニケーション,逆に旅先で困っている人を助けてあげて感謝される嬉しさとかいったものは,お金を払っても経験できるとは限らない,再現性の保証のない幸せです.

マスターカードのCMで有名な「プライスレス」とはよく言ったものですね.

旅行をしたての頃は,未踏の地に降り立つことそのものが幸せに直結します.でも次第に,旅先で起きる再現性のない経験に幸せを感じていくようになり,より幸せの本質に近づいていくのだと思います.

さまざまな人との出会い,その人から受ける愛情,さらに,自分がその人のことをいつまでも大切にしたいと思う気持ちは,とても希少でかけがえのないことです.人間の本質に迫る,とても崇高な幸せのカタチだと思います.

だから,僕はこれからますます,物質な豊かさより,人との出会いやコミュニケーションを大切に感じていくようになるのだと思います.

年齢を重ねるとは,人々にこういった心理的変化をもたらすイベントなのかもしれません.

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