格差

そもそも真面目に働いている人たちが苦い思いをするような世の中でいいのだろうかと思う機会が多くなってきています。

NHKスペシャルで取り上げられていた、高速ツアーバスの格安競争に関するドキュメンタリーを見ていて、その思いをさらに強くしました。

ピラミッド型をした社会構造においては何事においてもそうなのかもしれませんが、階層の上層部に位置する人々(ツアー会社)が繁栄を謳歌する一方で、階層の下層部に位置する人々(バスを運行する孫請け会社)が歯を食いしばって真剣に、懸命に働いているにもかかわらず、相応の報酬を得ることができないという現実。

ツアー会社はパソコンの画面で数字を管理し、より高い利益があがるように、ただ情報を管理しているだけである一方、実際にバスを運行している人々は人の命を預かるという重責を担いながら、不当に安いチャーター料金の下で、睡眠時間をけずり、精神をすり減らしながら、フル回転で車を走らせ続ける。

孫請け会社は、もう既に十分すぎるぐらいいっぱいいっぱいなのに、ツアー会社はその強い立場を利用して、より一層の安全の確保と経営の効率化を求める。

末端の現実を全く見たこともない立場で、よくそんなこと言えたもんだと呆れてしまいました。

やはり格差社会というのは、もう国じゅうに蔓延しているのでしょうか。親会社と下請け、正社員と派遣・バイト、よく週刊誌とかでも取り上げられる、これらの相対的構造は、業態を問わず、ほぼ全ての経済活動の中にフラクタルのように埋め込まれ、マクロ的にみるとその両端では驚異的な格差を生み出しているのだと思います。

自由競争の世の中で、効率的経済活動を営めなくなった企業が滅び行くのは必然なのかもしれないとしても、そこにさらに階層的な立場の違いが埋め込まれているが故に、立場の強い存在が立場の弱い存在を搾取、抑圧する現実が生まれ、最も末端で過当競争を強いられている存在が一番苦しい、非人間的な生活を強いられるというのは、社会構造として、人道的ではないと思います。

働きぶりは全然違わないのに、経済活動の上流にあるか、下流にあるかだけの違いで、何でこんなに差が生まれなければならないのか、労働に対する対価の評価方法がおかしいように思います。

中世ヨーロッパや江戸時代の日本のように、支配する人(領主、名主)、される人(農民)みたいな構造が見え隠れします。時代に逆行するような変化が起きているのか、そもそも昔から本質的には何も変わっていないのか。

社会主義、共産主義に向かうべきとは思わないけれど、ここ15年ぐらいで変化があからさまに起きてきているように感じる印象は、経済的に非効率と評されてきた日本独特の規制を次々と撤廃していった歴史と相関があるように感じます。

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