今日は,オーケストラの帰りにヴァイオリンの弦を買いに,府中の楽器屋さんに行ってきました.
せっかくなので,おもしろい弓があったら弾かせてもらいたいなぁと思って聞いてみたら,ちょうど今日店に売りに来たイタリア人から一つだけ選んで買った弓があるから弾いてみたら,とのこと.
なんかタイミング良すぎでないの?と思ったのですが,おいそれと買えるような値段ではないので,ウソではないと思います.ちなみに,こんな単なる木の棒が150万円也.
人によって,ひのきの棒に見えたり,雷神の剣に見えたりするところが,楽器の面白さです.(こんな例えじゃわかんないか.)
聞けば1900年代前半のフレンチボウだそうで,まあ,その値打ちは弾けばすぐに分かりました.いやはや,いい弓だ.同じ自分の楽器とは思えないぐらい伸びやかな,柔らかい音がする.弓のコントロールもすごく直感的にできる.とても大切に長年扱われてきたことが,木のすり減り具合からも分かります.それだけいい弓であるって証拠ですね.
ま,この楽器職人は楽器のコレクションが趣味のような人で,自分でも楽しみたいからという理由で,そもそもあまり自分の選んだ楽器を積極的に売ろうともしない,変わった人です.何なら売ってもいいよぐらいの感覚...見せてくれただけでも感謝と言うべきなのか.
楽器が良くなれば,弓の違いがあからさまにその音に現れてくるようになります.持っている楽器の性能を最大限に発揮しようと思うなら,やっぱ,弓も良くしたいと思うのはヴァイオリン属弦楽器奏者の共通の感覚です.
ヴァイオリンは楽器の中でもかなり特殊で,骨董的価値と実用性が両方備わった,面白いものです.本当にいい楽器だったら,古くなっても価値は下がらないし,そんな何百万円もする木のハコを日々オケ活動などで演奏して使ってしまうわけです.
銀行に何百万も預けていても,時間と共にちょっと数字が増えるだけですが,ヴァイオリンにその形を変化させれば,数々の音楽経験を通じて人生の豊かさを得ることができる.
もし,最終的に買った楽器を使わなくなったら,換金すれば購入時に支払ったもとの金額が返ってくるわけで,要するに,ヴァイオリンを演奏するために支払うお金というのは,いわゆるデポジットなのです.
自分の人生の何倍も長生きする楽器というのは,自分が死んでしまったら,きっと次は別の誰かが手にして演奏するわけですから,ヴァイオリンを手にれるということは,人間社会にとっての文化財を一時的に借りるという感覚に近いように思います.
ま,そんなこんなで,今度は弓が欲しくなってしまったわけで...おまけに最近は金銭感覚も常識を外れつつあるので恐ろしくもあります.
今日買った弦:
Pirastro Evah Pirazzi ADG線
Lenzner Goldbrokat E線
合計:9324円