ヴァイオリンの練習・番外編

僕は今,平均して月2回ぐらいレッスンに通っています.先生の家が自宅より会社に近いこともあって,大体の場合,仕事帰りに通っています.

レッスンを受けることの効用とは,

<練習のペースを作ることができる>

このことに尽きると思います.

レッスンでは,先生には音程が悪いとか,肘が下がってるとか,左手の運指がおかしいとか,変な癖がついているとかいうことを指摘してもらえる機会もありますが,基本的にはずっと,僕の演奏を聴いて,オッケーとか,もう一回やってきてとか,コメントするだけです.

つまり,レッスンの時間に先生から何か新しいテクニックを教わることが重要というよりは,レッスンという本番に向けて,自宅で練習する時間に重要な意味があるのです.

そんなことに毎回レッスン料を払うのか,とも思えるかもしれませんが,このレッスンという本番を定期的にも設けられることに重要な意味があって,それはウン千円を払う価値のあるものなのです.

オーケストラとかの活動をしていれば,定期的に練習するとは思うのですが,基礎練を自主的にみっちりとやるようになるかというと,僕の場合は,なんとなく曲ばかり練習してしまって,なかなか基礎練を順番にこなしていくペースを作りきれないでいました.

それに,ある練習テーマが完成していないのに次々といろんなメニュー(教材)を中途半端にさわってしまって,練習の効率が悪かったように思います.

でも,毎回のレッスンのたびに「次はここまで」という目標を設定してもらえると,次回のレッスンまでにその目標をきちんと仕上げ,自分以外の人に聞いてもらうのだ,という動機を作ることができます.

それに,レッスンの日までに完成させないといけないという気持ちがあると,仕事に疲れて家に帰ってきても,何とか練習せねば,という気持ちを引き出すことができます.

自主的に目標を設定していたら,僕の場合,きっと「今日は疲れたから練習ヤメ」とか「これぐらい弾ければ,まあ,いいか」なんて考えて,あまりストイックにはやらないと思うのです.

だから,僕にとってはレッスンが重要なペースメーカーになっているというわけです.

もう少し話を深めると,要するに,レッスンを受けるときの心構えとして,とても当たり前なことですが,「レッスンを受けたら何とかなる(してくれる)だろう」という考えは有り得ないということです.たとえレッスンを受けたとしても,他力本願じゃ上達はしません.結局は自分でどれだけ努力するかにかかっているのです.

その努力をアシストしてくれるのが,レッスンであり,その努力に貴重な時間を割いてコメントして下さるのが,先生,というわけです.

もちろん,表現方法で分からないことがあったり,技術的に難しい奏法があったときには,色々と助言してもらえて,とても参考になります.でも,それもあくまでヒントにしか過ぎないので,やっぱり練習しなきゃ弾けるようにはならないのです.

自分で言うのも何だが,なんか説教くさい日記だな...

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