もう一人の自分

今週,今年度で30歳になる社員向けに,キャリアビルディングワークショップなる研修が行われました.

要は,仕事上の自分の履歴を振り返り,今一度将来の目標を見つめ直しましょう,という趣旨の内容なんですけど,面白かったのは,この研修のグループワーク中の一コマ.

グループの中の仲間から色々とインタビュー形式で,質問に答えながら自己分析をするという課題があったのですが,その際にペアを組んだ相手にメモしてもらったことの中に,こんな文章がありました.

「初対面の人でも相手に悪い印象を与えず,穏やかで,人の良さを感じる,営業とかにも向いていると思う」

最初読んだときは,ハァ?と思ったのですが,まあ,あながち間違ってもいないかなと思いました.

自分の感情や欲求をコントロールすることは比較的得意なので,「こういう状況では,このように振る舞ったり,意見を述べるべき」という,マナーみたいなものがハッキリと決まっている状況だと,何の迷いもなく行動できるというのは,自分の特徴として事実だと思うからです.

だから,仕事上の人とのコミュニケーションは楽に感じるし,そうそう間違いようもないと思います.

でも,逆に言うと,プライベートなコミュニケーションというものは,苦手かもしれません.ものの考え方,言動の方法にルールがなくて,とても自由だからです.拠り所がないというか...

こういう場合,普通は「自分自身の素直な思い」というものが拠り所になるんだと思うのですが,僕の場合,自分自身をコントロールすることに慣れてしまったが故に,本来の自分なら何をどう考えるのかが,よく分からなくなっているのです.

一般的にはこうだ,倫理的にはこうだ,道徳的にはこうだ,マナーとしてはこうだ,社会的にはこうだ,立場的にはこうだ,論理的にはこうだ,通説的にはこうだ...

「○○的にはこうだ,だからこうする」と客観的に判断する癖がついてしまい,主観的に自分の価値観でものを考えることができなくなっているのかもしれません.

仕事上のコミュニケーションであれば,これでいいのかもしれませんが,さすがに,プライベートなコミュニケーションにこれを持ち込んだら,つまらないコミュニケーションになるだろうなぁと思います.

六法全書と対話しているみたいで,「その人」という個性が全然見えてこないからです.逆に,その人が本心では何を考えているか分からなくて,ある意味,恐ろしささえ感じてしまうかもしれません.

別に優等生ぶっているわけではないのですが,人間とは完璧なものではないし,恥をさらしたくない,傷つけたくないし,傷つきたくない,と思うが故に,一生懸命に取り繕おうとしてしまうのでしょう.

自意識過剰か,人見知りか...

別に,何のトラウマがあるって訳でもないのですけどね.これは持って生まれた自分の性格のようです.

少なくとも,親しい友人と話すときぐらい,こんなたいそうなこと,忘れた方がいいような気がします.でも,忘れたところで,替わりの自分が思い当たるわけでもないのですが.

感情と欲求をむき出しにして思うがままに振る舞う自分が,深層心理に隠れているのだとしたら,一度会ってみたいものです.

意外といい奴だったら嬉しいんですけど...

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