ピカルディの3度

昨日に引き続き音楽ネタですが,ピカルディの3度って知ってますか?

バロック音楽を聞いていれば,絶対に一度は聞いたことがあるはずです.短調の楽曲なのに,最後の音だけ長調の和音で終わって(同主調の主和音で終わって),ひときわ明るく感じられる,アレです.

ネスカフェの「ダバダー」のCMソングもそうだし,昨日紹介した平均律クラヴィーア曲集なんかことごとくピカルディ終止しちゃってます.

あんまりこればかり聞いていると,ピカルディー終止のありがたみが薄れてしまうのですが,ずっと短調のメロディーで鬱々としているところに,最後パッと光がさすように和音が響くと,何か救われたような気がして,とても爽やかな気持ちになります.

中世ヨーロッパの教会旋法(音階や旋律を作るときの作法みたいなもの)の考え方として,このピカルディー終止は,神の世界への救済を象徴するものとして用いられていたのだそうです.

クリスチャンではない僕でも,音楽を聞いただけでそのイメージを描くことができるのですから,音楽とは偉大な表現手段だなぁと思います.

形はだいぶ変わりますが,ベートーヴェンの「運命」は第4楽章が突然長調に転調しますよね(c-mollからC-durへ).これもやはり同主調に転調しています.

この曲の場合は,宗教的な意味合いより,人間に降りかかる理不尽な運命や苦悩がテーマとなって作曲されたような,かなり人間くさい曲ですから,だいぶ宗教色は薄れているとは思うのですが,それでも,少なくともこの転調からは,運命を乗り越えて,明日へ向かって生きようとする希望や力強さを感じることができます.

さらに,このように運命に打ち勝つ人間の生き様を,神の世界への救済の象徴であるピカルディの3度とオーバーラップさせてイメージすると,人間の姿でありながら非常に神々しいものとして描き出されているように感じられます.

というよりは,むしろ作曲者のメッセージとして,苦悩を乗り越える人間の姿とは,神の存在に匹敵するぐらい崇高なものであるという意味が込められていたのかもしれませんね(僕の勝手な想像ですが).

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