気持ちの問題

ま,一応発表会も終わったことですし,ひとこと書いておきます.

楽器を弾くことは,自分にとっては自分の限界を見るための方法の一つだったりします.今回の演奏だって,自分にとっては限界ギリギリだったんじゃないかなと思います.

自分の限界が見えるってことは,あんまり嬉しいことではないですが,年齢を重ねれば必然的に見えてきてしまうもの.それを受け入れながら自分は年齢を重ねていくのだろうと思います.

伸びしろは年々減ってきているとは感じるものの,限界を目指して何も変化がないということはありません.少なからず成長するものです.

少ないながらも進歩していくことに喜びを感じるから,一時はやめていた楽器を再び手に取り,学ぼうと思うようになったのかもしれません.

こういう芸術の技能というのは,突き詰めていけばいくほど,奏者ごとの生まれ持ったセンスや才能の差異が露呈してきて,努力ではどうにも補えない領域が見えてきます.そういうことに気づくと,時に自分の努力が虚しく思えてきて,「所詮...」と思ってしまう瞬間があります.

かつて子供時代にレッスンを受けていたときは,そんなライバルが同じ教室にいて,なんとも残酷な現実を思い知らされた記憶があります.

まあ,昔から僕は音楽は趣味と割り切ってはいたのですが,やるからには上を目指すのは,自然な人間の心理なわけで,結構悔しい思いをしたのは事実です.

でも,社会人になって再び楽器を手に取ったときは,少し気持ちが変わっていたのかもしれません.それまで,人より自分が上手いとか,人によく見えるようにカッコつけて演奏しようとか,自分の位置づけを人との相対的な関係で決定しようとしていたのですが,ある時から,自分主体で,今の自分を基準に,より上を目指そうと考えるようになったのです.

他人の悲しみや苦しみを代償として自分の幸せを得るような生き方だと,自分の幸せを素直に喜べないし,自分が負けたときには非常に苦しいし,悲しい.でも,自分主体で考えるようになると,他人がどう見るかは意識しなくてもよくなるので,自分の努力の過程でとっても気が楽だし,例え自分が幸せになったとしても,他人を不幸にするようなことがなくなるので,気兼ねなく向上心を持ち続けることができるのです.

発表会もそうかもしれません.他人にどう見られるとか,演奏を失敗しないように,いい格好をしないといけないとか,自分を他人の視点から捉えようとするから異様に緊張するのだと思います.自分はこういう演奏をしたら嬉しいとか,楽しいとか,幸せだというイメージを心に描き,その幸せ感を,よければ共有しませんか?という気持ちぐらいで演奏すると,人前で演奏しても,全然緊張しないのだと思います.

まあ,格好つけな若いときは,こんな心境にならないのが当然で,若ければ若いほど緊張をバリバリに味わうものなのかもしれません.

ある意味,自分はそれなりに年取ってきたってことなんでしょうね.

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