抱負

最近,ちょくちょくヴァイオリニストが演奏するDVDを見ます.

まあ,とても勉強になるからなんですけど.これが同じ楽器かと思うようなテクニックと正確さ.見るたびにため息が出ます.ヴァイオリン弾くんだったらこれを目指さないといけないよなぁと,僕は思います.

それでこの頃,一人で楽器を演奏することの重要さにも思いを巡らすことが多くなりました.

もちろん,沢山で演奏することは楽しいし,アンサンブルの能力を高めたり,周囲に気を配りながら演奏できるだけの懐の広い演奏ができることの重要さは,それまでソロでしか演奏してこなかった人間として,大学オケや社会人オケに入って身にしみて感じてきたことです.

でも,やっぱりそれだけでは物足りないと,レッスンを始めたり,発表会に向けての取り組みを通じて,どこかで感じてきました.

単なるスケールをやっても,ポジション移動が安定して決まらなかったり,ポジションごとの指の間隔がしっかりと身についていないことが不満だし,早いパッセージで右手と左手がちゃんと同期できないことも不甲斐ない.

左手が出来ていないと,3度,8度とかのもっとも基本的なスケールでさえもがたちまち崩壊するので,すぐにわかります.

今まで何となく見て見ぬふりをしてきたものが,今になって急に目の前に見えてきた感じがします.目標を持って達成することは気分がいいし,モチベーションを維持する上では重要だけど,中途半端な状態で区切りをつけてしまったり,何となく弾いた気になってしまっては,僕は自らの技術の進歩という点で物足りなさが残ります.

一朝一夕で出来るようなものではないですが,僕の中では,とりあえずはスケール,アルペジオだと思っています.指板の上で自由自在にポジション移動できる左腕と,各ポジションで正確な音程をおさえられる左手,難しい運指でも均等なリズムで打ち下ろせる俊敏な左指,低い弦のハイポジでも弱々しい音にならない安定した左指,どれをとっても,欠くことの出来ない基礎中の基礎です.

楽器がシンプルなだけに,求められていることも簡単明瞭.その分,条件を満たすことは難しいし,出来ていないことがすぐに露呈するという点で,非常にシビアです.

こんな純粋で透明で,感動的な和声展開が夢のような音楽が目の前に楽譜として存在するのに,その10分の1も表現できない自分の技量が,楽器や音楽に対して申し訳ないと,昔練習したバッハの無伴奏を引っぱってきたり,CDで聞いていて思いました.

僕が最近気に入っているのは,ミルシテイン,ハイフェッツ,そしてムターです.僕の好みは,敢えて言うならば,キレイ,サッパリ,シッカリ,正確,無駄がない,これに尽きます.

ムターがカラヤンと1984年に録音したベートーヴェンのコンチェルトは特に素晴らしいと,僕は思いました.

    • 最後に,ハイフェッツの言葉から —

練習というのは,どうしてもやり遂げなければいけないという気持ちからするものです.練習は人生にとって,生きていくためにも重要なものです.実際,練習は人生を楽しむためにこそ大事だと私は思います.

そのためには少々のことは我慢しなければいけません.手にすることができるものにも目をつぶらなければなりません.

つまり,欲しいものもいくつかに分けて手に入れることです.一度に全部を取ってしまうのではなく,明日に少し,そしてその次の日に少しというふうに小出しにして,最後に全部を完全に楽しめるようにするのです.

私たちは安逸をむさぼりすぎています.実はそれが夢を見ることを妨げているのです.この安逸に囲まれた中で夢見るということは普通ではできません.大変難しいことです.

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