国際化

こちらに来てから、やはり日本のニュースが気になるので、オンラインで日本のニュースサイトばかり見ているのですが、鳩山政権の掲げる東アジア共同体構想ってどんなものなんだろう、とよく考えます。

ちゃんと調べたわけではないので、想像でしかないのですが、EUの東アジア版みたいなものなのでしょうか。よく知りません。

しかし、本当に東アジアでこれが実現できるのだろうか、と考えます。そもそも、果たして日本人はそれを望んでいるのだろうかと。

単純に考えてみましょう。中国、韓国、台湾、香港、東南アジアの国々、オーストラリア、ニューギニアまで含めちゃいましょうか、この辺の国々がEuropean UnionならぬAsian Unionを作ったとします。

貿易が自由になりました、中国の農産物はもちろん、オーストラリアから牛肉も大量に輸入、コメの保護政策も撤廃してしまって、大量の外国産コシヒカリが輸入されちゃったりします。今まではあまり手に入らなかった熱帯の果物なんかもたくさん空輸されてきて、バラエティが増えました。

一方、日本国内では、しばらくの間はまだ不均衡な為替の影響が残っており、人件費が高すぎるので、AUの国々に工場を作り、現地生産で工業製品を作り、輸出します。

とりあえず、日本という国のくくりで考えると、農業は衰退、国内産業は空洞化、保険や金融とサービスで金儲けをし、海外からの輸入に依存した国を作り上げます。まるで、スイス。。。しかし、日本の金融がどれだけのものになり得るのかがいまいちわかりません。リーマンの後を引き受けた野村証券の現状とか見ちゃうと。

海外のヘッジファンドみたいなハゲタカ的行為を、本当に誠実で優しすぎる日本人ができるのか、海外の発展途上国に果敢に踏み出していって、新しい投資対象を自らの手で見つけ出すような貪欲さがあるのか、金融工学の手法を本気で操れる日本人がどれだけいるのか、という点が疑問です。そもそも、そういう学生は結局外資系金融機関に就職しちゃうのでしょうし。

結局、国の規制に守られていたこともあり、海外との関わりを絶っていたからこそ、主な金融機関は今回の金融バブルの影響を受けにくかった訳だし、かたや投資するといっても、海外のファンドの言いなりになって金融商品を買っていたら見事に資産を減らしてしまった、というのが金融資産を積み立てていた多くの日本の組合の至った結果です。

要するに、日本の金融機関は国際的でも主体的でもないわけです。

少し、話がそれたので、元に戻します。

ひとまず、AUに加盟した国々は、自由に貿易できる代わりに、すべての商品について、AU各国の言語表記を併記することが求められるとします。たとえば、牛乳のパックには、産地や成分が中国語、韓国語、日本語、英語、マレー語、タイ語、インドネシア語・・・で併記され、電化製品のマニュアルは、今までの何倍もの厚さになります。

電車に乗れば、アナウンスは最低4ヶ国語は必ず守られており、駅間でアナウンスが終わらなくなりました。電車の中の会話は、複数の言語が入り乱れていて、何を言っているかさっぱりわかりません(もうすでにそうなっているかもしれませんが)。とくに、大陸から来た人々は声が大きく、携帯電話も普通に使っていて、今まで以上に車内は騒がしくなりました。

通貨も統一されました。はじめは統一通貨にしても、日本国内の給与水準は海外より圧倒的に高額だったのですが、海外からの出稼ぎ労働者が活躍するにつれ、人件費が低くても商品が作れるようになったので物価は低下、給与水準も低くなり、それで国が回り始めるようになりました。

各国の行き来も自由になりました。ビザを取る必要がなく、入管手続きが省略されるので、国内線扱いで人々が自由に行き来します。

日本の内需が旺盛で、働き口が多く、豊かな国であると勘違いした外国の人々が大量に出稼ぎにやってきましたが、多くの工場は海外にあるので、労働力過多になってしまいました。レストランに入れば、外国人の店員さんが、同じ国出身のお客さんと、祖国を懐かしむように母国語でおしゃべりしています。

かたや、地方の過疎化した村には、大陸の砂漠化した土地よりはよっぽど居心地が良く、公害もないし最高だと、大量の移民が押し寄せ、隣村には、いつの間にかチャイナタウンができあがっていました。

滞在許可を持たない外国人(VISAと滞在許可は別)が今まで以上にあふれ、移民局は大忙しです。滞在許可を持たないと正規雇用もされないので、強制送還、もしくは不法滞在状態になり、安定した収入を持たない人々が原因となって犯罪率の増加を招きました。さらには、一部の国からは、国間の自由な行き来を逆手にとって、夏休み期間などには、都内の空き巣を目的に日本にやってくる外国人グループまで出現してきました。

もちろん極端な書き方をしているのは承知していますが、特徴的な点を挙げると、こんな感じになりそう、というのが僕の考え方です。

そもそも、陸で各国がつながり、国境が密集し、電車で走ればいつの間にか隣の国に来てしまうようなヨーロッパと、各国が海で隔てられ、主な交通手段が飛行機であるアジアは、単純には比較できないでしょう。

何かが非常に非効率で、各国の障壁を撤廃すれば画期的にそれが改善される、というビジョンが見えていれば前向きになるでしょう。しかし、多くの労力を払って、各国の交流を制度として促進したからといって、人々が本当にその制度を積極的に利用するようになるのでしょうか。

そして、英語もまともに操らない日本人が、潜在的意識として、果たして自分達以外の各民族との日常的な交流を望んでいるのか、普段から島国根性丸出しな日本人が、こういった現実的な環境の変化をきちんと予期しているのか、それに対応する心構えがあるのか、ということが最大の疑問です。

「ユーアイノセイシン」なんて言って慣れ慣れしく諸外国に近づいていけば、疑うことを知らず、すぐに人を信用してしまう日本人は、貪欲でしたたかな海外の人々にいいように利用され、身ぐるみはがされてしまうのではないかと、心配になってしまいます。

農業と国内産業の衰退が著しい日本において、自由化が本当に目指すべき道なのかということは、非常に保護主義的、排他的な制度を堅持し、それなりにうまくやっているスイスに暮らしていると、疑問に思えてきてしまうのです。まあ、スイスは若干極端な例のような気もしますが。

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