好き勝手にいわせて

何となく、第2回。

日本の政治は、民主党小沢幹事長の政治資金の不正運用疑惑でもちきりですね。

所詮、民主党も自民党の生き残りのような政治家によって回されているのかと思うと、日本の政治は一体誰に未来を託せばいいのかわからなくなり、非常に空しく感じます。

そして、旧態依然として変わらない政治家の往生際の悪さ、何とかなからないものでしょうか。結局これは、世の中に対する政治家の甘えだと思います。自らの行動に対する責任の自覚が弱く、「何か道理に合わないことをしても、説明すれば許してもらえるだろう」、「ひとときの言い逃れをして、嵐が過ぎるのを待てば忘れてもらえるだろう」、「法律の抜け道を探して、私腹を肥やそう」という甘い考え方が根底にあると思います。発言、約束、契約に対する責任の自覚が弱く、コロコロと変わる思想、その場しのぎの軽はずみな発言、過去の発言と矛盾する説明、度重なる発言の訂正。そして、声を上げ、矛盾を糾弾することなく受け流してしまう、正義感の弱い周囲の政治家と、世論。

事件の経緯の説明の過程でウソをついたら、それで政治家としてはおしまいになるべきです。小沢幹事長は既に複数の点において過去の発言を訂正し、言い逃れを続けています。

お互いがお互いの傷をなめあい「自分にも何かあった時にはよろしく」という暗黙の了解で、周囲の評価の甘さに甘えているのが、生ぬるい日本文化の特色だと思います。(治安が良くて、平和ボケしていると、こういう思想になってくるのかもしれません。適度なタイミングで脅威をもたらしてくれる東アジアの諸外国政府、犯罪組織には感謝しなければ。。。)

ところで、小沢幹事長は、ある意味、竹下、金丸といった古狸みたいな政治家の血を引く伝統的な自民党の政治家です。東京地検と徹底的に抗戦する構えは、見方を変えれば、非常に筋金の通った政治家だなぁと思います。秘書にすべての責任をなすりつけ、権力にしがみつき、徹底的に自らの不正の言い逃れに全エネルギーを注ぐ信念の強さ、執念深さは、最近の新人議員には無い姿だと思います。

最近の政治家は、政治家としての人生を歩むこだわりもそれほど強くないのではないかと思います。不正を指摘され、追及されたらあっさりと認め、ごめんなさいをして、辞職して政界から離れ、第二の人生を模索していくのではないかと思います。自民党終末期の度重なる首相交代劇、鳩山首相の発言の軽さには、この思想的な世代交代の傾向が現れてきているのではないかと思います。

その点、小沢幹事長の一連の言動からは、伝統的な日本の政治家の貫禄さえ感じてしまい、こういうしたたかで心の強い政治家が日本からいなくなっていくのかと思うと(勝手に決めてますが)、逆に将来を案じてしまう気持ちにさえなります。

民主党に、新人議員だけが取り残されたら、どうなるでしょうか。民主党の委員会の中での議員のやりとりとかを映像で見た限りは、なんか、そこら辺の団地の自治会での住民同士の議論や、PTAでの親同士のやりとりを見るような感覚になります。

庶民感覚がそのまま政治に乗っているという点では、いいのかもしれませんが、なんか、政策を議論する以前に、政治家になって国会の一員として議論に参加し、国民の代表として発言している(つもりになっている、勘違いの)自分の姿に酔ってしまっていて、非常に醜いです。数いる政治家の中で目立つことに既に精一杯、浮き足立っていて、危険だなぁと思います。国会議員として自らの思想を問い、政治に参加する以前の問題なんです。議論が浅はかというか、政治家としての貫禄のなさが、政治のプロというイメージとかけ離れていて、こんな人たちに日本の将来が任せられるのかなぁと不安になります。

というわけで、何を信じていいのか、誰に国民の権利を託せばいいのかがわからず、日本の政治には暗澹たる気持ちになってしまいます。自民党型伝統的政治が崩壊した今は、新しいスタイルを確立するための、混沌とした時期なのだと思います。

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