語学のお勉強

先日、新聞に掲載されたセンター試験の英語の問題を眺めていました。今の自分だとどれくらいわかるんだろうかとか、そんな気持ちで。

で、いきなり面食らったのが相も変わらず生き残っている、最初の発音問題。アクセントの位置が同じとか、違うとか、同じ発音の単語を選べとか、そういう問題。

ありました。確かに、僕も昔沢山解いた記憶があります。

しかし、この試験対策をやったおかげで、正しい発音で英語を話せるようになったと喜んでいる日本人は、一体どれだけいるのでしょうか。むしろ、発音以前に、会話すらできない、文章が浮かんでこないと悩んでいる人の方が多いのではないでしょうか。

こんな重箱の隅をつつくような問題、いい加減廃止すればいいのにと思います。テストだから、なるべく変な問題を作って差をつけたい気持ちもわかりますが、こんな問題で特殊な単語の正しい発音の認識能力、発話能力を身につけたところで、あまり役に立たないと思います。このための試験勉強をしても、実際の会話で役に立つ国なんてそんなに多くないと思います。

むしろ、実用性を考えるんだったら、世界中の訛った英語を聞き分ける問題を作った方がいいんじゃないかと思います。フランス系、スペイン系、イタリア系は、発音を聞いただけで、どこ出身かがわかるぐらいかなり特徴がありますが、インド系、中東系なんかは、アクセントの位置もめちゃくちゃだし、母音の発音も違っていて、かなり奇妙な英語に聞こえます。

多くの人にとっては、意図を伝え、日常生活を送るための手段としての英語であって、意地の悪いテストでハイスコアを取ることを目的とした英語ではないのです。

最近、学校でフランス語の授業を受けながら感じることも、似たようなことです。僕の大学時代の第二外国語の授業を思い出すと、一つは文法、もう一つはリーディングという感じで、ひたすら時制、動詞の活用、冠詞の用法・・・の説明を受けつつ、フランス語の長文を読み進めるという授業でした。

まあ、確かに仏文学を専攻した人が先生になるとこんな授業になるんだと思いますが、この伝統的な、文法、リーディング、という授業形態、何とかならないものかと思います。

授業は眠くなるし、実生活で全然役に立たないのです。

もっと、シチュエーションごとにテーマを絞って、そこで登場する単語や、文法を関連づけながら学習する方がよっぽど実用的だと思います。

例えば、駅で切符を買うとか、レストランでメニューを見て注文するとか、一日の生活スタイルを他人に説明するとか、スーパーで買い物するとか、部屋の掃除をするとか。色々あると思います。

そして、文章を朗読する以外に声を出す機会の無い授業はあり得ないと思います。自分の考えているイメージを言葉に変換するトレーニングを積まないと、会話はできないからです。先生の書いた板書をノートに書き留め、文章を朗読する、これだけでは知識で頭でっかちになるばかりで、いざというときに使えないのです。

もちろん、文法を知らなければ正しい言葉かどうか判断できませんし、文章を「組み立てる」こともできないと思います。でも、よくよく考えてみると、文章を「組み立てる」という作業は文法の知識でいっぱいになった大人の頭の人がやる作業であって、日常会話というのは、使い慣れたフレーズを音で覚え、そのまま再現する作業だと思います。

そこに小難しい文法による解釈が挟まる余地はありません。

男性名詞も、女性名詞も、発音したときの音感、語呂で覚えるものです。その単語を使った文章がワンフレーズ、音として思い出せれば、男性名詞か女性名詞かがわかるという仕組みです。

フランス語は特に、理由もなく決まっているルールが沢山あって、理屈で考え、文章を組み立てることを放棄するのにはとても適した言語だと思います。

外地に来ると、はっきり言って英語は使えて当たり前です。TOEICのスコアが760を超えるぐらいが海外勤務の基準だとか、オーバー900を憧れるとか、そういうレベルではありません。そもそも、こういう価値観がありません。例えスコアが低くても普通に生活は出来ますし、スコアが高くても会話ができるとも限らないからです。

最低でも3カ国語は話せて当然という人が周囲にウヨウヨいると、ああ、人間ってこれが普通なんだ、やれば出来ることなんだと思えるようになります。すると、何で自分にはできないんだろう、そんな難しいことではないのかもしれない、と逆に思わされるようになります。

繰り返しになりますが、日本で生活していると、利用する機会が少ないので特に、語学勉強は資格試験で高いスコアを取ることが目的になりがちです。しかし、本来は日常生活を便利に過ごすため、もしくは仕事遂行上の手段であるということを忘れてはいけないと思います。そして、語学勉強のカリキュラムはこの目的に沿って構築されるべきだと思います。

入試に必要なTOEFLとかを除き、資格試験のスコアで意味もなく最高点を目指すとか、スコアの増減で一喜一憂するのは本末転倒なことであると思います。

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