ベルリンへの旅

週末は、コンサートを聴きに行くために、ベルリンまで小旅行をしてきました。例によって、短い時間ではありましたが、色々観光もしました。その辺は、後日写真をアップするとして、特に印象に残ったことを記しておこうと思います。

・ソニーシティ@ポツダム広場

ソニーの欧州本社がベルリンフィルの隣にあるとは知りませんでした。いかにもソニーらしいというか、ベルリンフィル全盛期のカラヤンと経営者が個人的に仲が良かったからこそできた事ではないかと思います。ていうか、完全に経営者の趣味ですね。いかにも戦後のサクセスストーリーを歩んで絶頂に至った会社、という感じがします。本社周辺はソニーシティという商業地域を形成していて、東京でいえばお台場のメディアージュのような感じです。外見が独特なデザインである事もあって、ベルリンの観光スポットの一つになっています。観光する人は一度は訪れる場所ではないかと思います。ちなみに、ベルリンフィルの建物から外を眺めると、思わせぶりに会社のロゴが良く見えるようになっています。

しかし、今の経営環境、経営思想では、いつ売却対象になってもおかしくないようなバブリーな施設である気もします。そもそも、この立地に対する価値観を共有できる経営者がどれだけ残っているでしょうか。個人的には、会社でプライベートジェットを持っていたり、何故か羽田に会社の離発着枠を持っていたり、こういう独特の企業文化が僕は好きでした。合理主義のトヨタが、ベルリンフィルの隣に本社を作ったりするとは到底思えません。

・ベルリンフィル

一方でベルリンフィル。こちらもなんか、ソニーと歩みを共にしてしまったのかなという印象。カラヤンの存在が大き過ぎて、未だにその幻影から逃れ切れていないという感じがします。

ベルリンフィルのメインホール、独特のデザインが印象的で、思想と発言力を持ったカリスマの存在無しには決して実現し得なかったホールである事に違いありません。良いか悪いかは別として、僕にはウォルトディズニーが構想したディズニーランドのようにも見えました。その斬新さもさる事ながら、クラシック音楽に対する愛情、そしてそれを世界中の人々に伝えたい、という気概も随所に感じられました。

しかし、一般に言われているように、ベルリンフィルは、その偉大なるカリスマを失った今、オケとしての新たな立脚点を見失っているのではないかと思います。これだけ時間が経っても、まだ立ち直れない。ラトルは頑張っているし、団員も演奏は上手です。でも、なんか、らしくないのです。心から安心して演奏しているように思えません。魂が感じられません。オーラがありません。至って普通のオケなのです。本意でない演奏をさせられているようにさえ見えてしまうのです。だから、演奏が上滑りしているように感じてしまいます。そんな演奏を、圧倒的な存在感を放つメインホールの中で演奏されると、そのギャップに、オケ全体が浮き草のように漂よって感じられてしまうのです。そこにはまるで、ベートーヴェンの肖像のようにオケを睨みつけるカラヤンの幻影と、悩み、彷徨うオケの姿がありました。

今回実際の演奏を聴いて、みんなが何を言わんとしているのかがわかりました。期待が大きすぎるのかもしれませんが、事実は事実です。ちなみに、コンマスが遅刻してくるというハプニングまでありました。(樫本大進ではありません。)

・内田光子(ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」)

そして、内田光子のピアノ。僕はこの人の事をこれまで全く知らなかったのですが、今回偶然にも巡り会えたことに心から感謝しました。最後のロウソクの灯のように、か細く、消えかかったドイツ音楽の魂が、ここに残っていたことに感動を覚えました。

この人の演奏スタイルは、まるで修行僧のようです。変に音楽の解釈を曲げたりせず、ただひたすらに作品、そしてそれを演奏する自分と向き合っています。また、必要以上の色や欲を出して演出したり、技術をひけらかすようなこともありません。一方で、聴衆に息つく暇を与えない研ぎ澄まされた集中力があります。必要最小限でシンプル、しかし重厚で完全なのです。この、音楽に対してひたむきで真摯な姿勢、そして機能的で無駄の無い音楽からは、ドイツ人の哲学が伝わってきたかのようでした。そこには、身を削るように音楽に打ち込む姿さえも垣間見えました。

一方でオケは相変らず、アイデンティティーのかけらもない上滑りの音楽です。ピアノの演奏をどうか軽はずみな伴奏で壊さないで欲しいと祈るしかありませんでした。何でベルリンフィルが演奏するベートーヴェンが上滑りするんでしょう。ドイツでも戦後の教育改革、ゆとり教育とかやっちゃったのかと思いました。それとも時代の流れなのでしょうか。

前二曲と三曲目のコンチェルトに対する聴衆の反応にも、明らかにその違いが現れていました。まず、拍手の勢いがハッキリとわかるぐらいに違いました。そして、最後はスタンディングオベーションでした。僕の隣のおばさんは前半、ほとんど拍手すらしなかったのに、最後だけは盛んに拍手を送っていました。まさに、これが聴きたかったのだと言わんばかりに。演奏が終わり、オケの団員が退場し、照明も明るくなっているのにも関わらず、席に留まり、拍手を止めようとしない聴衆。オケの団員も、この喝采が内田さん個人に向けられたものであったことはハッキリとわかったに違いありません。最後の拍手に応え、内田さんはステージに一人登場し、何度もお辞儀をしていました。

前半の曲が分かりにくくて不満だった事への反動も多少はあったかもしれませんが、演奏のクオリティに明らかな違いがあった事は確かです。

話は脱線しますが、最近ピアニストといえば、ランランが注目を集めています。こちらでも人気なようで、チケットはすぐ完売してしまいます。しかし僕にとっては、とある練習風景を映像でみてから、あまり共感できなくなってしまいました。テクニックは素晴らしいし、才能にも溢れているのかもしれません。しかし、彼の音楽に対する思想のバックグラウンドを知った時点でダメになってしまいました。何かに音楽をなぞらえて解釈することを否定はしませんが、解釈の方法が僕の趣味には合わないという、まあそれだけのことです。

テクニックによって音楽家は聴衆に驚きを与えることができると思います。華やかな色に、人はときめくかもしれません。しかし、その驚きやときめきは長くは続かないものです。その音楽家の音楽に対する姿勢、哲学、生き方そのものさえもが最終的にはその人の音楽を左右すると思います。そして聴衆は、音楽を通じて演奏家の人間性に対面し、共感した時に初めてより深い感動を得るのだと思います。ランランはまだ若いですし、これからの成長に期待すべきアーティストなのでしょう。

・あとがき

ベルリンからはICEで帰ってくる事にしたのですが、寝て行くのとは違って、さすがに昼間に陸路でローザンヌは遠いです。風景が変わっていくのは楽しいですが、あまりにも暇なのでiPhoneで日記を書いていました。ちなみに、ウェブで予約した時には2等車は割引チケットが売り切れで、通常価格の2等車と割引の1等車がほぼ同価格だったので、今回は1等車にしました。間違えてコンパートメントの席を指定してしまったのですが、予約席に人が来ず、結局、ほとんど最後まで一人部屋でした。空いているのは快適ですが、多少の雑音があった方が和みます。

あと、今回待ち時間に初めて利用しましたが、1等の長距離チケットがあると、駅構内のラウンジが使え、ドリンクが無料でもらえます。寒い季節には重宝します。

今回乗ったICEは、ベルリンを12時30分に出発して、フランクフルト、バーゼル経由でインターラーケンまで行けるという長距離列車です。バーゼルまでは7時間30分かかりました。平均時速は約130キロでした。結局ローザンヌ着は22時過ぎです。うーん、疲れました。

スイスに入ると、電車はそこらじゅう迷彩服の人々ばかりでした。停車する駅ごとに、ホームでは若い兵士と彼女と思しき女性が別れを惜しんでいます。週末だったから地元に帰ってきていたんでしょう。沢山のカップルがホームでしばしの別れを惜しむ姿、何とも独特で、新鮮な光景でした。昔、シンデレラエクスプレスってキャッチコピーがJR東海のCMにありましたけど、このCMに迷彩服は似合いませんね(笑)。

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