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NHKスペシャル ~メイド・イン・ジャパンの命運~

http://www.nhk.or.jp/special/onair/100124.html

CELL REGZAの開発、入社以来一度だけ体験した開発現場が昨日のように思い出されました。やってることは、ほとんどQRIOの開発と同じでした(笑)。発表会の1週間前になってもちゃんとソフトが動かないことなんて、それまでに前例のない商品を開発すれば、当然のように起きることだと思います。裏方では、どれだけのプログラマが徹夜で奮闘していたことでしょう。

それにしても、ありもののチップ同士を接続するだけの回路設計や製品の組み立てはもう日本でやるべきことではないように思います。あと、テレビのためだけに専用の回路を組んで開発する時代は終わりだと思います。現にパソコンで普通にテレビが見られるのに、なぜテレビだけのために専用の機器を開発する必要があるのでしょうか。

専用の回路を組んで開発するのならば、それなりの利点を示せないと駄目なはずです。しかし、専用機器のはずなのに、現状の液晶テレビはPCでテレビをも下回る操作性とレスポンスです。ありえません。

組織に昔ながらの技術者が残っているから、なんとか彼らを使わないと仕方がない、なんてことを言っていたら、きっと会社はつぶれます。年齢が進んでから他の技術分野に進出するのは困難かもしれませんが、新しい時代の技術に適応できない技術者は、その技術の分野から退場してもらうしかないと思います。経営者の視点とは、きっとそういうものだと思います。

別に技術の分野に限ったことではありません。もはや時代遅れとなった小売り業態である百貨店業界では、猛烈なリストラをやっていますし、希望退職者が殺到しているのです。

それなりに時間が経つと、自然と組織というのは肥大化していくものです。会社などは特に。すると次第に、商品開発という本来の目的以外に、組織の維持、人員配置という問題が、組織の意志決定を左右する条件にのし上がってくるだろうと思います。こうなると、本来商品開発の手段であった雇用が意志決定の目的となってくるのは自然の流れです。考慮すべき条件が増えて、健全な判断がしにくくなるでしょう。

その点、大学の研究室は比較的健全な組織が保たれているのではないかと思います。それは、システマチックに人員が入れ替わるが故に、新陳代謝が会社の組織より激しいからです。その分、技術の蓄積、研究クオリティの維持には多大な努力が必要と思いますが、新しいことへの取り組みという点では、フットワークが軽いことには違いありません。もちろん、研究室を率いる教授のやる気次第だと思いますが。

さて、CELL REGZAですが、1台100万円。僕にはなんか聞き覚えのある商品コンセプトだなと思いました。低価格競争に業を煮やし、日本の技術力でしか実現し得ない高付加価値の高みを目指す、というものです。そうそう、QUALIAです。しかし、これでは単体の利益率は高くても、大抵の消費者にはtoo much。したがって売り上げが望めないわけで、それでは大企業の雇用を維持することができない。

だから結局ボリュームゾーンの商品を作って大きなキャッシュフローを生み出さないといけない。そして、低価格競争に巻き込まれながら自転車を運転し続けるという仕掛け。

どんな会社でも、商品企画の人たちの関心は、何を消費者に訴求するかということだと思います。やたらソキューソキュー言います。でも、もう大概の消費者は満ち足りているから、それほど欲しいと思わないんですね。それに、多くの人が満足できるからこそのボリュームゾーンであって、そんな高いお金を払ってまで付加価値を求めないのが、今のデフレ社会です。

この番組でも出てきました、アメリカ人の消費者は台湾のEMSブランドのテレビと日本製のテレビのクオリティに違いは感じないのです。そして、ある程度のクオリティがあれば、後は安ければそれでいいと言うわけです。

技術者としては面白くない話ですが、ボリュームゾーンの商品を無難に作り、新興国で売りさばいて雇用を何とか維持するというのが、日本の製造業の現状だと思います。

では、何に活路を見いだすべきなのか、一時はCPUやOSの技術を握るアメリカの独壇場と言われた分野も、今や雲行きが怪しいです。インテルのCPUは十分すぎるほどに処理能力が上がって、低価格のラインアップでも十分に使えるし、OSも組み込みに使うのならばlinuxで十分。携帯ならAndroidもあるしという状況です。

あえて製造業のお手本を探すなら、Appleなのかもしれません。Apple独自のOSであるMac OS(iPhone OS)を全ての商品に共通に組み込んで活用することで、開発のコストを下げると同時に、Windowsには実現できないUIによって、他社の追随を許さない独自の価値を引き出し、差別化を実現する。ソフトウェア処理能力を最大限に生かすことで、回路は汎用のコンピュータと同じオーソドックスな設計でシンプルにし、製造の工程と原価を最大限に減らす。無駄に商品のラインアップを広げずに、iTunesなどのコンテンツビジネスと結びつけることで、最低限のヴァリエーションから最大限の価値を引き出す。ハードウェアデザインとユーザエクスペリエンスに最大限の労力を費やし、製造はEMS。

外に見えるコンセプトだけでも、日本企業が学ぶべきことは多いように思います。見真似でもいいから、参考にするべきではないでしょうか。

ていうか、コンセプトレベルではどの日本企業もやろうとしていたんだろうと思いますよ。特にどこかの会社なんか、コンセプトレベルでは上記のようなことは、ほとんど全てスローガンとして何度も聞いていたような気が。。。

しかし、リーダーシップを持ったカリスマの存在が無かったが故に、萌芽的技術は大組織の中で派閥同士の争いに巻き込まれてつぶれていった、といったことが現状に至った一つの原因ではないかと思います。他にも、技術者にセンスがなかった、大企業が故の倫理観が足かせとなった、といったこともあるかもしれません。

肥大化した帝国、失われた革新――元Microsoft社員の証言

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1002/15/news065.html

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