研究室の中には、当然ながらスイス人が何人かいるのですが、フランス語圏、ドイツ語圏が地元のスイス人の割合は、半分半分ぐらいかと思います。スイス全体の70%がドイツ語圏で、大学がフランス語圏にあるので、まあ、それぐらいの割合になるでしょう。
僕はドイツ語が全くわからないのですが、発音でドイツ語を話していることの判別ぐらいはつきます。しかし、それがスイスジャーマンなのか標準ドイツ語なのかの区別はできません。
で、スイスに来て間もない頃、ドイツ語を話している友人に、何気なく「君はドイツ出身なの?今、ドイツ語話していたようだから。」と聞いてしまいました。スイスの70%がドイツ語圏であることをすっかり忘れていたのです。
すると、彼は「いやいやスイス出身だよ。でも知ってるかい?スイスジャーマンにドイツ人なのかって聞くのは、結構微妙な質問なんだよ。」と答えました。聞けば、ドイツ語圏のスイス人は伝統的に、あまりドイツ人が好きではないそうなのです。
「僕たちはドイツ語を話すけれども、標準ドイツ語みたいに早くは話せないし、発音もかなり変わっているだろ?それに、独特のドイツ語を使うのは話すときだけで、それを書き記す時は、標準ドイツ語しかないんだ。まぁ、これは一般に言われていることで、自分達を冗談半分で揶揄するときによく使う例えなんだけどね。」とのこと。
というわけで、嫌いと言うよりは、若干劣等感にも似た感情に由来する嫌悪感なんだなぁということがわかりました。
僕は「独特の文化があることは別に悪いことではないし、スイス人は勤勉で国も豊かなんだからもっと自信を持ってもいいんじゃないのかなぁ。」と答えましたが、何かしらスイスの文化に関する問題を指摘されたとき、もしくは、ただ単にスイス独自の文化を指摘されたときですら、罪悪感を感じてしまうのがスイス人のメンタリティなんだと思います。
スイス銀行に世界各国の金持ちが脱税のために資産を隠しているとか、ローザンヌでシーフードレストランを探すのは大変だよねとか、なんでこんなに物価が高いのとか、ミナレット建設を禁止しちゃうなんてスイス人は保守的だよねとか、研究室のカフェタイムの学生同士の話では、スイスの独特の文化で話題は持ちきりなのですが、何となくスイス人はそれを真面目にとらえてしまい、自分たちの問題として、真剣に考え込んでしまう傾向が多いように思います。
まあ、とても控えめで、真面目な人たちなんです。自信に満ちあふれたアメリカ人とは対照的です。
そんな人たちですから、物事に対する意見をストレートに述べてしまうドイツ人が攻撃的であまり好きでないというのも、わかる気がします。日本の文化に理解が深いのも、この湿っぽいメンタリティが影響しているのではないかと思います。
ヨーロッパは狭いですが、文化がモザイクのように入り組んでいて、全然ひとくくりでは語れないことを最近は特に実感します。そんなわけで、「ヨーロッパの人達は○○なの?」という質問は最近自然としなくなりました。
嫌われるドイツ人移民