国際化とは

以前から思っていたことなのですが、JALは経営破綻しちゃったりしているので、書いてみることにします。

導入として、端的に何が言いたいのかというと、

1.日本の航空会社は、航空会社のくせに国際感覚に欠けているということです。

2.具体的には、島国根性が抜けきらず、全てのシステムをはじめ、経営上の構造的問題として、国内、海外、という区別にやたらとらわれているということです。

3.こんなフィロソフィーで今後も経営していたら、間違いなく国際競争に負けるということです。

4.最終的に、こんな国際感覚に欠け、国際競争力の弱い航空会社は、税金を投入して保護する必要はなく、日本に2つもいらないということです。

これらの問題を実感できる端的な例は、日本の航空会社のホームページを見ればすぐに分かります。欧州系の航空会社などは、トップページから国内線、国際線の区別なしに航空券の予約ができます。日本の航空会社は、国内線、国際線で別のインターフェースに切り替えて予約するようになっています。

何でいちいち、国内、国際、という区別をつける必要があるのでしょうか。都市名、空港コードを入れれば自動的に国内線か国際線かの区別なくフライトを検索してくれればそれでいいのです。

日本では、「海外に出る」という行為そのものが、まだ少し心理的にハードルの高いものとなっているため、その心理的障壁がこのインターフェースに端的に現れてしまっているのだと思います。

でも一応、これまでずっと、日本は海外との交流を深めよう、海外に学ぼうという気概で発展してきたのですし、そういうオープンで柔軟な日本人の気質が、国の発展を支えてきました。そして今もまた、国際感覚を持った人間を育てようという機運が大学や企業において高まっています。

しかし、日本と海外を橋渡しすべき航空会社がこんなドメスティックな感覚にとらわれて経営していては、何か出鼻をくじかれる感じがします。

国際化だとか、観光立国を標榜するなら、島国ならではのメンタリティーとして深く染みついてしまっている、日本人自身の海外、外国、ガイジンという心理的障壁、日本とそれ以外の国を区別する考え方を根本的に撤廃することから始めなければいけないのです。

しかし、島国ならではの考え方というものはあまりにも深く文化に根ざしてしまっているため、この障壁を撤廃するのは非常に難しいことだと思います。政府や官公庁の役人、企業の人間はそれぞれの立場から、最近色々と国際化のためのスローガンを立ててはいますが、結局は何が本当に求められている改善点なのか、本人達ですら理解していないのではないかと思います。

問題の根っこである日本人がいくら想像しても駄目なんです。海外の人に、海外から日本がどのように見えるのか、率直な意見を聞かなきゃ駄目なんです。

例えば航空券の予約の話で言えば、JALにしてもANAにしても、オンラインチケット予約システムにおいて、海外発の航空券予約の扱いが非常に冷遇されています。国内、国際のインターフェースよりもさらに奥に、海外発の航空券予約インターフェースが隠れており、格安航空券の選択肢もほとんどありません。

そして、乗り継ぎの航空券予約など、望むべくもありません。ジュネーブ発、フランクフルト経由、成田行きという一連の航空券を日本の航空会社のホームページからでは買えないのです。フランクフルト発、成田行きだけ日本の航空会社から買って、ジュネーブ発、フランクフルト行きは欧州系で別に手配するなんてことをしたら、余計お金がかかります。これじゃ不便だということで、ヨーロッパ発のフライトは欧州系の航空会社にお世話になるわけです。

だから、日本国外に住んでいる人間にとって、日本の航空会社を選択する利点は全く見出せないのです。これ、日本に住んでいるとあまり気にならないのですが、海外に出ると急に問題に見えてきます。

こんな閉鎖的なマーケティングをしていたら、海外の人は日本の航空会社に乗ってくれないのは当然です。自らマーケットを狭めているようなものです。だから、僕は日本の航空会社は国際競争力がないと思うのです。そして、今紹介したウェブのインターフェースが象徴しているように、マーケティング、経営理念、システムの構造的問題、日本の航空会社で働く一人一人のフィロソフィー、様々なところに細かく刻み込まれた島国ならではのメンタリティーを転換できない限り、日本の航空会社が海外路線から撤退するのは当然だと思うのです。

日本の航空会社の人間、国土交通省の役人は、この問題に果たして気づいているでしょうか。リストラして人減らししても、根本的な問題を改善しない限り、経営規模は縮小の一途をたどり、最終的には国内線だけの航空会社になると思います。海外のカスタマーを日本のカスタマーと分け隔てなく受け入れる体制を整備しないといけないのです。

国際的な事故や災害が起きたとき、日本のメディアは、邦人の安否を報道しますが、それ以外の情報には全く感知しません。日本人の安全が確保できたことがわかると、その後の経過を報道することすら止めてしまいます。こんなメディアが海外支局なんか持つ意味はないのです。CNNやBBCのニュースを日本で翻訳して報道するぐらいで満足でしょう。

本当に日本を訪れる観光客が増えたり、海外で活躍する日本人が増えたら、日本で海外旅行者向けの海外ニュースを見る機会も増えるでしょうし、海外で日本のメディアによるニュースに触れる機会も増えるでしょう。しかし、今はそうなっていません。日本がまだ閉鎖的で、世界的に孤立していることを象徴しているのではないでしょうか。

NHKが、同じ国営放送としてBBCと肩を並べるようなメディアになるような日は訪れるでしょうか。mixiがfacebookと肩を並べ、日本の国以外の人も普通に利用するようなSNSサービスとなる日は訪れるでしょうか。ずいぶんと先の未来のことのように思います。

海外の人々は、世界的に孤立し、閉鎖的に発展し続け、独自の文化を育み、海外に文化の一端を発信し続ける日本に対し、その独自さに惹かれ、非常に高い関心を持っています。まあ、独自の進化を遂げた生物を見ることができる、ガラパゴス諸島を訪れる観光客の気分と同じなのですが、それはそれで、価値のある観光資源だと僕は思います。

だから別に、国策として国際化にこだわる必要はないと僕は思います。独自の文化をこれからもずっと大切にし続ければいいのです。

ただ何となく、何が国際化の結果としてあるべき姿なのかを真剣に考えていない、わかっていない、国際化による文化、生活の変化に適応する覚悟ができていないにも関わらず、スローガンだけ国際化を叫ぶ今の風潮が空虚であり、滑稽だなぁと思ったので、その気持ちを記してみました。

僕自身、自分が特別に、日本とそれ以外の国々をボーダーレスに考えることのできる、いわゆる”国際感覚のある人間”だとは思っていません。例えば、日本に観光客に来てもらうのはうれしいけど、海外の国籍の人間に選挙権を与えることには反対です。ボーダーレスとはいっても、限度があります。

表面的なことしかできないのなら、国際化にこだわりすぎる必要はないし、むしろ日本独自の文化を守りたいと、僕は思うのです。

堕ちた翼 ドキュメントJAL倒産
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