語学の話(英語)

面白い記事を見つけたのでご紹介。

内容はそれほど深くありませんが、実に的を射た話を書いているなと思いました。

【英語貧国ジャパン】(1)努力すれどはるかに遠し “ウルゲント”の笑撃

日本人の英語学習では、TOEFL(テクニックで何とかなってしまうTOEICではなく)でハイスコアを取るのは至難の業であるとか、日本語と韓国語、日本語と英語の言語的距離の話とか、確かにその通りだと思います。

TOEFLは学術よりの英語に偏っているようにも見えますが、講義を聴き、要点をまとめて作文したり、スピーキングしたりする技術は、ビジネスにおいても非常に大事なスキルであると思います。文部科学省には是非、日本人が普通にTOEFLでハイスコアをとれるようになるための英語教育を実施して欲しいと思うのですが。

もし、日本人がネイティブと対等に会話できるだけのスキルを身につけたとしたら、これは相当な強みになると思います。隔たりの大きい文法的なギャップを乗り越え、言語の成り立ちの背景にある、論理的な思考を重視する欧米文化のバックグラウンドをも臨機応変に切り替えて異文化交流ができるようになることを意味するからです。

記事にもあるように、最近のリコール問題に伴い、トヨタの社長がアメリカの公聴会の席で、世界のメディアの前で稚拙な英語を披露してしまったエピソードは、実に日本全体の英語力を象徴していた出来事ではないかと思います。

確かに、いくら勉強しても日本人が英語に苦手意識を持つのは、もともとの言語的距離の大きさによるところも大きいと思います。しかし、なんと言い訳しようとも、日本人は英語ができないがために、日本の文化は明らかに世界から孤立していることは事実です。これは、日本にとっても、世界にとっても不幸な出来事です。(世界の標準化の波に巻き込まれず、日本の異質性が保たれて面白いとは思うのですが。)

日本の異質性というのは、日本にいたら気づきません。海外旅行しただけでもまだ、あまり気づかないと思います。日本を客観的に見つめるためには、周囲に日本人のいないコミュニティで生活し、現地のコミュニティに同化し、彼らと価値観を共有しなければいけないと思います。

日本の異質性、世界からの孤立度合いを実感するということは、日本の文化から少し抜け出して、あちらがわの価値観から日本を見つめた、ということを意味します。

そして、ひとたび日本を出てしまえば、実は、想像した以上に日本以外の世界各国間の移動というものには障壁が小さく、容易なものなのだということに気づくと思います。

アルク

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