自分の目で確かめ、自分の頭で考える

今日、隣の研究室にいる韓国人のポスドクに、I’m very sorry to hear that Japan lost the World Cup match yesterday.と言われました。この人は、初め私が日本人ではないかと勘違いしていた人で、とてもおっとりとして、物静かな人です。同じ趣旨のことは、スイス人や、昨日勝利したスペイン人のポスドクにも言われたのですが、それだけ日本が善戦したということは世界中に知れわたっているってことなのでしょう。

さて、日本のニュースをみる限り、韓国や中国でも同様に好意的にメディアで伝えられているそうですね。W杯のような世界的イベントになると、視点が少し広まって、日本のことでも世界を相手に活躍するアジアの一員という意識でとらえられるようになるのかも知れません。

確かに、今いるローザンヌの様にアジア人コミュニティがそれほど大きくない土地にいると、アジア系の人と話をするだけで、ヨーロッパでの生活にまつわる不自由さの価値観を共有できるようで、自然と親近感がわくものです。ヨーロッパは嫌いではありませんし、今、私があえて日本人コミュニティと距離を置いて生活していることにも理由があるのですが、外見が全く異なる人たちに囲まれ、全く異なる文化の中で生活するというのは、たまに、それなりにアウェーの気分を感じるものなのです。

今回の留学で改めて感じたことは、韓国人は極めて日本人と雰囲気が似ているということと、インド人はわりと物静かで、控えめで、話してみると結構細かく相手に気配りをしながら話す雰囲気があって、何となくウェットな感じが日本人とうまが合いそうということでした。特に私がこちらの大学で出会った韓国人は皆、日本語を話したり、日本にとても興味を持っている人ばかりで、私は、隣国である韓国に今まで全く関心を持っていなかったことを少し申し訳なく思いました。もちろん、サンプル数が非常に少ないので、私の経験だけで一般化はできないと思いますが。

さて、こういう何が言いたいのかはっきりしないまま、話をするのは欧米では最も嫌われるパターンなのでそろそろ論点を明確にしましょうか。

要するに、日本人もいつまでも国内だけに目を向けていないで、自分自身で世界と交流しましょうということです。ニコ動や、2ちゃんねるの書き込みを眺めていると、たまに韓国や中国を蔑視した様な書き込みを見かけます。しかし、そんな書き込みをしている人達は、実際に韓国人や中国人とコミュニケーションしたことがあるのだろうかと思うのです。そして、実際にコミュニケーションしたとしたら、ネットの世界で披露した価値観をそのまま持ち続けるだろうかと思うのです。

ナショナリズムに燃えるのも結構ですが、少なくともリアルな世界でのコミュニケーションを体験し、自分の頭で考えた上で価値観を形成するべきだと思います。他国に対する印象は、とかく政府やメディアのコントロールによって形成されることが多いと思います。東アジアの国々が日本を見る目は、その典型例です。草の根レベルで交流すれば幸せになれるのに、政府が勝手な価値観をうえつけたがゆえに、人々はいがみあってしまうのです。これは非常に不幸なことです。

誰かから伝え聞く情報だけで判断するのではなく、自分の目で確かめることが大切です。そのためには、一旦自分の親しんだ文化から距離を置き、先入観を排し、客観的な視点でとらえることが大切でしょう。私のローザンヌでの生活は、まさにその実験の一端なのです。

隕石の衝突や、宇宙人の侵略がなかったとしても、世界中の人々に共存共栄を促し、世界平和を実現するには、草の根レベルの人的交流を促進し、各個人が異文化の理解を深めることが、もっとも近道のように思います。

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