英語公用語化について

先日、楽天の決算発表があり、社長が英語でプレゼンテーションしたことがニュースになっていましたね。あまり品の良くないニュースソースですが、日刊ゲンダイが如実にその実情をリポートしています。

確かに、日本の会社で英語を強制したら間違いなくこうなる(誰も言葉を発しなくなる)だろうと思います。会社に入るまでほとんど英語を話す機会が与えられてこなかったにも関わらず、突然英語を強制されたところで話せるわけがないからです。

確かに、日本国内で英語だけを使う環境というのは、ちょっと無理があるような気がします。周囲にいる人間の半分ぐらいが日本人以外の人間ならば、英語を使う雰囲気になるでしょうが、周りに日本人しかいないのに英語を話すというのは、かなり違和感があります。地方から来た人に唐突に、方言で話してみて、と言ってもぎこちなくなってしまうのに、同郷の人と会うと急に方言で話し出すようになるのと同じようなものです。

しかしそうは言っても、日本人が英語を話せないのは話す機会が圧倒的に不足しているからであって、その不足を補うためならば、日本人同士でも英語を話すべきだ、という気持ちに私は賛同します。

「日本人同士なのに、英語を話すなんて」と、この記事には、記者の気持ちを吐露したのであろう文面が読み取れますが、この記者は英語があまり得意でなくて、日本人なら英語なんか話せなくてもいい、と思っているのかなと思います。

しかしです、世界の人口のたった2%の日本人が、いくら日本語で頑張ったところで、世界とコミュニケーションが出来なくなるだけで、所詮、世界から取り残されて終わるだけではないでしょうか。ただでさえ引っ込み思案の日本人だというのに、英語が話せないが故に誤解されたり、実力以下に見られたり、交渉ごとにおいて劣勢に立たされる、ということはあってはならないと思います。英語公用語化とは、英語かぶれとか、英語フリークとか、語学マニアとか、そういう問題ではなくて、自己防衛の手段なのです。

最近も、トヨタ車のリコール騒動がアメリカでありました。この時、トヨタ社長は通訳を引き連れて、アメリカの公聴会に乗り込み、平身低頭、日本流の誠心誠意を伝えるという姿勢で何とかやり過ごしましたが、自らの主張をディフェンドするのが普通の欧米のコミュニティにあって、あまりにも情けない姿でした。大半のクレームはドライバーがアクセルとブレーキを間違えるという運転ミスであったというのに、NHTSAにはそれらの情報は隠蔽され、一方的にトヨタが悪いかのように情報操作をされていたのです。

一方で、日本では最近iPod nanoの初代機が明らかにバッテリの不具合で、発火事故を起こしているにも関わらず、Appleが自らの責任を認めず、リコールもせず、大々的に報告もせず、ユーザから依頼のあった場合にのみ、コソコソとバッテリ(恐らく本体丸ごと)の交換に応じて来たという姿勢が問題になっています。アメリカだったら、訴訟費用目当ての弁護士も巻き込み、最近ホットなiPhone 4のアンテナ問題並に、ユーザらが徒党を組んで大クレームの嵐になってもいいだろうに、日本のカスタマーは本当に大人しいと思います。

ソニーが以前、同様の問題でノートパソコンのバッテリを世界中で大々的にリコールしたことも記憶に新しいでしょう。iPod nanoは、バッテリもnanoだから問題ないとでも考えているのでしょうか。それとも、Appleは日本人なら事なかれ主義で大人しいから、勝手に泣き寝入りするとでも思って、なめてかかっているのでしょうか。

日本の政治家にしても、サミットなどの場で海外の首脳とうまくコミュニケーションできず、記念撮影などの場で取り残されるという事例も、過去一部の首相は例外として、繰り返されてきました。

普天間基地の問題にしても、「国民の負担が多くなってもいいから、自衛隊を増強し、(アメリカみたいに世界の警察を標榜するほど日本はおこがましい国じゃないから)極東の安全にまで責任を持てるかどうかわからないけど、自国に関してはとりあえず日本が責任を持って守るから、アメリカは引っ込んでいなさい」と明確に主張すれば、アメリカもよしわかった、そこまで言うならやってみろ、という話になるだろうに、「平和が好きだから軍事力は持ちません、自立したいからアメリカ海兵隊も要りません、だけど中国や北朝鮮の軍事的脅威は怖いかも」なんて平和ボケの訳の分からないことを言うから、アメリカの信頼を失う(日本の政治家がアメリカ議会になめられる)のです。まあ、これは英語の問題ではなくて、どちらかというと、もっと根本的に、論理的思考の問題ですが。

このような事例を鑑みると、日本人のメンタリティーの問題もありますが、英語が話せないこととかなりリンクしているであろう、対外的なコミュニケーションに自信を持てないという事実が原因となって、日本人の立場が弱くなるという事例が多いように感じます。だから、いざという時に的確な意思表明、主張をできるように、英語で会話するトレーニングを普段からしておくことが必要なのです。

もちろん例外もありますが、欧米人は大概、明確な言葉で表現し、伝えないと分からない人達です。何も言わないでいると、不思議、不気味、怪しい、危険、という感覚で見られるようになります。奇異な目で見られたいなら別ですが、普段は自分の思っていること、感じていることをどんどん表現し続けた方が、彼らは安心します。How are you?で始まるコミュニケーションが彼らの日常なのです。

こう考えると、英語を知識として知っていても、メンタリティーが自己主張の少ない日本人のままだと、あまり英語を知っていることに意味はないかもしれません。ただ、英語恐怖症であるが故に引っ込み思案になるよりは、まだマシだと思います。また、少なくとも英語でネイティブと話していると、自然と明確な表現をするようになると思います。英語は、どちらかというと論理的思考をした結果を表現しやすく、曖昧な表現がしにくい言語ですし、そもそも彼らは曖昧な表現を理解しないからです。

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