あたらしい憲法のはなし

最近、堅苦しい話ばかり掲載していますが、ここ数日の一連の流れで若干気になったので、現在の憲法のデビュー当時の日本国民の意識とはどういうものであったのか、この憲法を作った人達のメンタリティーとはどういうものであったのかを垣間見ようと思い、「あたらしい憲法のはなし」を読み返してみました。青空文庫の中にありますので、簡単に探すことが出来ます。

知らない人はいないと思いますが、「あたらしい憲法のはなし」とは、終戦後に短期間使用された、新制中学校1年生の社会科の教科書として発行された文章で、日本国憲法の精神や中身を易しく解説しているものです。

ここでは、私の心に印象を残したフレーズをいくつか取り上げ、どういう印象を抱いたかを記しておこうと思います。

●基本的人権

「みなさんは日本国民のうちのひとりです。国民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、国民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。国の力のもとは、ひとりひとりの国民にあります。そこで国は、この国民のとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。」

このフレーズからは、下記のメッセージが読み取れます。国民に与えられた基本的人権と引き替えに、国民に求められた義務があるということです。すなわち、国は強いものでなくてはならない、そのために国民一人一人が、かしこく、強くならなくてはならないということです。

しかし、現代日本にあって、国力を強くするために勉学に励む、というメンタリティーを持った若者はどれほどいるでしょうか。むしろ、自分の将来の仕事の選択肢の幅を広げるため、とか、より安定した職を得るため、とか、より収入の多い職に就くため、といった、かなり矮小化された視点で勉学に励んでいる人が多数のように思います。まあ、これが結果として国力に貢献することになればいい、という考え方もあるかもしれませんが。

しかし、今回「あたらしい憲法のはなし」を読んで感じたことの一つとして、個人主義的な考え方はどこにも書いてないということに、若干驚きを覚えました。基本的人権の尊重は繰り返し語られていますが、それはいずれも、ひとつにまとまった国家を作るための要素としての位置づけであって、むしろ、自分勝手な行動を取ることを戒める文言が多く記されているのです。

そう考えると、個人主義や競争的社会が強調された現代日本は、本来の憲法の理想とは乖離した社会になりつつあるのかな、という印象を抱かずにはいられませんでした。

●日本国民がつくった、日本国民の憲法

「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民のぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。」

民主主義社会が当たり前の社会に生活していると、明治時代の憲法が天皇によって作られたということに、カルチャーショックを覚えました。まあ、ヨーロッパでも王様が国を治めるということはこういうことだと思いますが、一人の人間(少なくとも生物学的に言って)の能力に頼って、国のルールを作るなんて、相当優秀な人じゃなきゃできないよなぁと思いました。もちろん、明治天皇をサポートする人が多くいたのだと思いますが。

●代表制民主主義と直接民主主義

「あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで国を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。」

代表制民主主義のフィロソフィーは、日本の政治に対して、私がいつももどかしいと思っている原点です。スイスの場合は、レファレンダムと言って、重要な事案は全て国民投票によって直接的に国民の意見によって決定できるのに、代表制民主主義だと、衆議院選挙でしか国民の意志を表明できないからです。

国の代表である総理大臣も、勝手に多数政党から決められてしまうので、必ずしも能力的に適していない人が首相になってしまうことが多いように思います。地方公共団体の長の方が、リーダーシップを持って仕事をしているように感じることを思うと、もう少し直接民主主義的な考え方にウェイトを置いてもいいのではないかと思います。

●選挙権と年齢

「みなさんは日本国民のひとりです。しかしまだこどもです。国のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。国会の議員をえらぶのも、国のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になって、はじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。」

政治に参加することを「たのしい」と表現しているこの文章に触れて、当時の人は選挙を通じて政治に参加することに対して希望を持ち、夢を描いていたのだなぁという感覚を覚えました。そして、子供が年長の人に対して、ある種尊敬のような感情を持って見る気持ち、一方、年長の人が年下の子供に対して、手本とならなければならないと自分の行動を省みる気持ちというのは、今も生きているだろうかと思いました。「自分もいつかは選挙に行って、国の発展に貢献するぞ」という気持ちを抱いて勉学に励んでいる子供達は、今の時代、どれだけいるのだろうかと思いました。

発展しきって、目標を見失った国家には似つかわしくないメンタリティーですが、こういう気持ちがないと、国のエネルギーは失われる一方だと思います。

●国際平和主義

「じぶんの国のことばかり考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしていくことはできません。世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で、民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても、国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。」

この、国際平和主義という考え方は、他の国の立場を考えるということですから、民主主義以外の考え方も受け入れることも含むでしょう。だとしたら、ある政党が一党独裁している国家や、特定の人間が独裁する国家のあり方というものも認め、仲良くやっていきましょうということでしょう。まあ、現在でも民主主義の方法をとらない国家も多数世界にあることを考えると、この思想はうまく機能していると言えます。

しかし問題は、時に相手が同じように国際平和主義の考え方を尊重しているとは限らないということです。過去の歴史で繰り返されてきたように、少なからず軍事力にものをいわせて、自らの主張を押し通そうという行動(侵攻)が起きてしまうということです。こういう行動が自らの国に直接及んだ場合にどう対処すべきなのか、また第三国にそのような被害が及んだときに、日本はどう行動すべきなのか、看過していいのか、これらのことに関しては、憲法は何も言及していません。これは、ある種欠陥だと思います。

●主権在民主義

「みなさんは、日本国民のひとりです。主権をもっている日本国民のひとりです。しかし、主権は日本国民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。」

「日本国民であることにほこりをもつ」、「日本国民であることに責任を感じる」さて、現代の日本人はどれだけこの思想を受け継いでいるでしょうか。経済活動の数字ばかりが優先される現代の格差社会にあって、どれだけの日本人が自らの欲望を抑制し、勝手な行動を慎んでいると言えるでしょうか。もちろん、法律に定められた範囲内に行動をおさめ、秩序を守って行動していると思いますが、「よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。」の表現からは、法律を遵守する以上のモラルが求められているように感じます。

社会の仕組みを改善し、日本人がもういちど元々の憲法の思想に歩み寄る必要があるのか、そもそも憲法の思想が日本の現代社会にそぐわなくなっているのか、理想と現実のギャップを照らし合わせて、何かしらの手を打たなくてはいけないのではないかと思います。

●戦争の放棄

「みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。 」

繰り返しになりますが、これには言及されていないことがあるのです。RPGで言えば、武器と防具のことです。

「武器は捨てます。武器を使って威嚇し、力に任せて意見を通すのはよくないことです。」

「わかりました。では、防具はどうしますか?防具なしで攻撃されたら、かなりHPが減ると思いますが。」

「・・・(丸腰の国を攻撃するなんて悪いことをする人はいないと思うんだけどなぁ)」

というのが、現在の憲法です。

「フルボッコされている友人がいますけど、見て見ぬ振りしますか?」

という疑問にも答えていないのが、現代の憲法です。

●国会

「みなさん、国会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光がさしているのをごらんなさい。あれは日本国民の力をあらわすところです。主権をもっている日本国民が国を治めてゆくところです。」

「日本国民の力」個人的には、強くなって欲しいと思っています。でも、別に強くなくても、美味しい食事をして、よく眠り、適度に仕事をし、家族とともに毎日を平穏に生きていければ、別に強くなくてもいいんじゃないかなぁ、と思ったりするのです。あまりにも、現代っ子的、へたれな考え方でしょうか?

●政党

「日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、国の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、国の仕事について、国民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいるのです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、国民の意見が、大きく分かれてると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは、政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。国民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。」

確かに、ファシズムが戦争につながったたことは否定しませんが、この表現、ちょっと現代には合いませんね。共産党の一党独裁国家とも仲良くやっていかねばならないし、そういう国のあり方もあることを実際に国の繁栄によって示されていることを考えると、民主主義が唯一の考え方でないことを認めなければいけないはずです。そして、それが国際平和主義の考え方にも適うのです。この辺の表現は、少しアメリカ寄りな気がします。日本人が実際どう考えるのか、国民に問わねばならないでしょう。

●地方自治

「みなさん、国を愛し国につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、自分の地方のためにつくしましょう。地方のさかえは国のさかえと思ってください。」

地方が疲弊し、過疎化している現実を考えると、国の歩みはまさにこの思想に逆行してきたことになります。地方への税の還元を無駄な公共投資ととらえるか、「地方のさかえは国のさかえ」と考えるか、財政状況の厳しい国の状況も鑑み、非常に難しい国の運営が必要とされています。個人的には、地方が潤った方が家族のつながりが生まれ、出生率も上がり、文化も保護され、最終的には国の繁栄につながるのではないかと思っているのですが。。。実際は、現代の出生率は都市の方が上なんですよね。

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