日本の印象

帰国して2週間以上が経ちました。帰国して感じた、日本の印象というか、東京の印象は、暑くて、混んでいて、忙しい、というものでした。

冬は寒くなるのに、夏のこの暑さは一体何なんだと、言いたくなります。今年は特に異常気象だったようですが、それでも、到着した4日は、よくこういうところで人が活動しているなと思いました。呼吸すると、熱い空気が体内に入るのを感じるのです。そして、湿度。なんでこんなに蒸し暑いのだと。汗をかいて乾かないというのはこんなに不快なものかと思いました。スイスは、北海道より緯度が高いので気候の違いは当然のものなのかもしれません。一方で、北海道に移住したらもっと快適に過ごせるのかも。と思いました。

もっと東京以外に目を向け、それぞれの地の利を生かした都市計画ってできないものなのだろうかと思います。

そして、人口密度。これも大きな違いです。まともに聴覚、視覚、全ての情報処理をしていたら脳みそがパンクしそうなターミナル駅構内の人の多さ、満員電車で人と人の肌が触れてしまう距離感。。。これだけ混んでいれば、人の気持ちに余裕が生まれないでしょうし、色々と小さないざこざが起きても当然だろうと思います。満員電車で口論になるとか、駅員に暴力を振るうとかいうのも、結局人口過密からくる、人の気持ちの余裕の無さが大半だろうと思います。

最後に、忙しさ。これは何というか、世界と競争する日本が新興国に押されまくって自信を喪失していることや、失われた20年とも、デフレ不況ともいわれる経済状況から抜け出せなくて、もがき続けていることからくるものだと思います。私は、もうこれ以上、経済性とか、効率化とか、GDP拡大とか、成長率とか、そういう指標を目標として国作りをするべきではないのではないかと思います。

もう十分富は行き渡りました。人々は最低限の消費活動をしていると思います。これ以上内需拡大とか言い始めたら、それは水準以上の消費を喚起することであり、エネルギーの浪費になるし、バブルを起こすのと同じことだと思います。このようなライフスタイルは、アメリカならまだしも、日本の本来の文化の持つ姿ではないと思います。

所得格差が言われますが、それは、必要以上に経済性や効率性を優先しすぎて、発言力の弱い労働者の人件費を抑制しすぎたり、必要以上に商品の価格を下げているからだと思います。企業はこれ以上商品の値段を下げるべきでないし、消費者も、低価格ばかりを考えて商品を選ぶべきではありません。そして、日本の生産者にお金を還元するための消費活動をしなければいけません。

スーパーに日本産と中国産のニンニクが売っていたとします。半値程度の中国産を買いました。そうしたら、日本の農家が得るべき収入が国外に出ます。すると、その農家の購買力は低下します。次に、農家は頑張って価格を中国並みに下げました、収入は得られますが前より減少したので、その農家の購買力はやはり低下します。結局、圧倒的に低価格の商品を売り込んでくる、隣国があり、自由貿易を推進する限り、内需拡大なんで無理な話なのです。

本来、変動相場制で為替を決めていれば、不均衡な状態から均一な状態へと時間を経て向かっていくものですが、それを為替操作して妨げているようでは、いつまでたっても、日本とそれ以外の国との不均衡は解消されません。これに対抗するには、保護貿易か、為替介入ぐらいしか手はないでしょう。文句を言うなら、人為的に不均衡な為替状態を作り出している国に言うべきです。

国を豊かにするとか、所得倍増とか、明確な目標を立てることが困難な現代にあって、経済性優先の国家デザインは限界があると思います。経済大国であった日本というのは、敗戦後の廃墟から復興する段階で起きた、一時的な経済の異常状態を指す言葉なのではないかと思います。日本は、この先、経済大国であることに、あまりとらわれすぎない方がいいと思います。必然的にそうなるのは構わないと思いますが、体裁にとらわれるのはよくないと思います。

日本は人間としての、生活の豊かさを実現するために、次の時代のライフスタイルをデザインしなければいけないのだろうと思います。ただでさえ、消費活動が抑制されているデフレスパイラル状態だというのに、経済性、効率性をこれ以上優先させたら、ますます人々の心は疲弊していくのではないかと思います。

自由貿易を推進して、日本の水準に世界が追いつくまで日本人が苦しむべきなのか、日本国内に閉じた経済のエコシステムを作り、次の時代のライフスタイルを設計するべきなのか、難しい選択です。日本人の世界に対する良心と、日本人としての世界に行使すべき権利とのせめぎ合いのような気もします。

カテゴリー: 文化, 経済 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*