日本の製造業は,新興国にボロボロにされ,どうしたもんかと,一流の,賢い経営陣達が日々アタマを悩ませているこの時代です.高度成長期に日本が欧米の製造業をこてんぱんに打ち負かしたのと同じ歴史の繰り返しにも見えてきます.
ということは,欧米と日本のこれまでの歴史を振り返れば,今後の日本の産業の行く末は,金融とITに向かうべきであることは想像がつくけれど,日本人の文化,歴史,メンタリティーからは,どうもシックリきません.本当に,金融業で日本人が欧米のハゲタカに対峙することができるのでしょうか.マネーを自在に操り,世界を裏から動かすような闇のヒーローが生まれるのでしょうか.IT産業において,次世代の生活を変革するようなサービスを構築し,かつての日本車や家電のように世界中で使われるようなシステムを売り込んでいけるぐらいの,システム構築力と,大局観を持っているのでしょうか...
まあ,最初から悲観的に考えるのも,どうかしていますね.やってみなけりゃわかりません.ただ,もしかしたら,医療,介護,サービス産業など,第3の道を進むべきなのかもしれなくて,これこそまさに,世の中の流れを自分の目で見極め,自分のアタマで考え,日本の行く末,時代の波を想像しなくてはいけないことです.
このまま,日本のものづくりを支える道を考えるのも一つの選択肢です.でも,これまでの歴史を見ると,ものづくりから脱却しなければいけないような気もします.日本が参考にすべきは,米,英,欧のどれなんでしょうか.自動車産業が滅かかった,米,英か,まだまだ頑張っているフランス,ドイツか...
しかし,なんだかんだ言って,日本人の気質は,ものづくりに向いているような気がします.論理でもうけるより五感で感じ取ることのできることに関連したビジネスの方が上手いように感じるからです.また,内容はともあれ,新しい文化を生み出すことが上手だと思います.特に,エンターテインメントの面では,大いに独創性にあふれていると思います.
ただ,何となく,全において,短くて,浅くて,薄くて,狭くて,軽い気がします.
思考の対象とする時間の長さも,
目標設定の深さも,
考えの掘り下げ方も,
言葉の重みも,
結論を導くまでの思考過程も,
情報の集め方も,
本(教科書)も,
新聞も,
生活空間も,
メディアから垂れ流される情報の質も,
経営コンサルタントの解説も,
経済見通しも,
計画を実行する時間スパンも,
日本の建築物も,
危機対応も,
震災対応も,
防災対策も,
政治家のものの考え方も,
日本人の言動も,
日本人の視野も,
成果主義を重視するマネジメントも,
少子化対策も,
そもそも,日本人が小柄で,海に守られた島国で,木と紙の文化だからいけないのでしょうか...
でも,飛鳥時代の建造物がまだ残っていることを考えると,長期的視点で物事を達成するということを,やればできるんだろうと思います.あ,でも法隆寺はそもそも大陸の文化なんだっけ...
中国には遠く及ばないにせよ,世界にも誇るべき長い歴史と文化を持つ国なのに,これだけ戦前の過去を顧みず,前ばかり見ている国も珍しいと思います.それも,直近の未来しか見つめず,毎日を刹那的に,楽しくおかしく生き,平和を謳歌しているにもかかわらず,悩み苦しんで生きている国民も珍しいのではないかと思います.
戦後にリセットされ,根っこのない,浮き草のような時代を,あまり深くも考えずに駆け抜けてきたから,こんなになっちゃったのでしょう.楽しくもあるけど,もうそろそろレジャーランドの閉園時間が迫ってきているから苦しいのだと思います.
宗教にも,文化にも,根ざすところを知らないから,日々不安で,環境の変化に翻弄されるように信念を変え,適応を繰り返していかなければいけないのが,今の日本人の姿だと思います.
ベクトルはあっても,基点がないから将来が描けないのです.
環境構造の変化に翻弄され,勾配に沿って最急降下を繰り返し,コロコロと転がり回るのが,今の日本人の姿です.GPSを持たずに,嵐の海をこぎ回っているのが,かわいそうな日本の姿です.
あまりにも,文化に重みがない.
オリジナリティーはあっても,あくまで消費される文化であって,歴史には残らないのです.企業だけでなく,国そのものが自転車操業になりつつあるようなきがして,哀しく感じます.