感動のツボ

ここ1,2年ぐらいでしょうか,やたらと涙もろくなりました.

ドラマを見ても,映画を見ても,音楽を聴いていても,話を聞いていても,なんだか突然,感動してしまうのです.

その内容は非常に多様で,家族の絆だったり,生命の神秘だったり,友情だったり,動物のけなげさだったり,人の努力する姿だったり,歴史だったり,人の運命だったり,ある意味何でもありの状態です.

で,なんか涙があふれる自分を予期できてしまい,これはまずいぞーと思っていると,現実になる,とそんな感じです.

会社の先輩がかつて,年をとると急に涙腺が緩んでしまうと盛んに言っていましたが,まあ,そういうことなんだろうと思います.

例えば,科学系の番組を見ていて,幾多の自然災害を様々な原始生物たちが生き抜いてきたということ,そして太古の昔から今に至る生命の歴史の中に自分がいるという事実を再認識し,そのかけがえのなさに感動します.

例えば,大陸の音楽に触れ,荒涼とした平原や乾いた大地,青い空に広々とした草原をイメージさせるフレーズに意識が吸い込まれ,美しい風景に涙があふれます.

それが例え,いつもは日本といがみ合っている中国や韓国のものであっても,自分たちを信じ,一つの文化を紡いできた集団としての存在として,長い歴史を歩んできた人々の営みの結果としての芸術であるということを思うと,どれも非常に崇高なものであり,人は皆,何が大切で何を信じる存在なのかは,根っこでは一緒なんだということを知り,現代の人々はもっと高い視点でお互いを見つめ合わなければならないということに,思いが至るのです.

ちなみに,私はスイスに留学して以来,日本人としての自分が強く意識されるようになり,その影響でか,日本が昔よりも余計に嫌いになったし,好きにもなりました.さらに,昔は関心の無かったアジア各国に対する親近感や興味が強くなりました.明らかに,自分は欧米人ではなく,アジア人だという当たり前のことを思い知ったからです.

私は,今の中国や韓国は嫌いです.メディアを通じて目にし,耳にするこの両国は,礼儀を知らず,自己中心的で,喧嘩好きで,謙虚さの無い,ろくな国ではありません.とてもじゃないけどつきあう気にはなれない,と強く強く思っています.

でも,実際にその国の人々に接し,その国の中で,より深く,その国の一員として生活したら,間違いなく,今自分が抱いている嫌悪感は消えてしまうのだろうとも思っています.

美しいものを愛で,美味しい物に喜び,人の優しさに感謝し,家族を大切に思う,という気持ちは,誰でも同じだということに気づくと思うからです.

結局のところ,私の感動のツボというのは,何かの本質を目の当たりにしたときに,その崇高さ,偉大さに仰天してしまうような状況にあるのかもしれません.

生命が太古の昔から今まで命をつなぐことのできた偶然性,親が子を守り,育てるという限りない営みが生み出す愛情と家族の絆,他人を慈しみ,尊敬することから生まれる友情と社会性,本当は深く心を共有できるはずの人間同士が戦争を起こしてしまう社会の矛盾性,その一つ一つが真理であり,避けられない現実であるということ,そして,その避けられない運命の下に,人々は生命をつないでいるという事実...

こういった本質を知ると,私はなぜか,感動して涙してしまうようです.

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